社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

加藤周一『抵抗の文学』(岩波新書)

 

抵抗の文学 (岩波新書 青版 58)

抵抗の文学 (岩波新書 青版 58)

 

 戦時のレジスタンス文学がそれまでのフランス文学に新たな境地を生み出したとする評論。加藤周一の初期の代表作。 

 第二次世界大戦以前、フランスの文学は象徴主義と超現実主義で行き詰っていた。ロマン派以来の自我中心主義が知的・感覚的に追求されることで内面に閉じこもってしまった。

 だが、ナチス占領下の抵抗の文学によって、国民意識や大衆の生活意識、激動する現実を直視する動き、人生を取り戻す動き、象徴主義に時代性を与える動きなどを表現し、フランス文学が途絶えないことを証明した。抵抗はフランス文学の閉塞を打ち破ったのである。

 本書に現れる詩人たちはすべてがそれほど有名なわけではないが、それぞれに文学的に意義深い仕事を成し遂げ、フランス文学に足跡を残したようである。もちろん、加藤はこのフランスの運動の中に何か日本に通じるものを見出そうとしていたのだろう。あるいは、日本の戦時下の文学について考える端緒を探していたのかもしれない。いずれにせよ、論旨が明確で楽しめる評論だった。

宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)

 

トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)

トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)

 

  トクヴィルは19世紀フランスの思想家で、90日間アメリカに視察旅行に行った際の調査に基づき『アメリカのデモクラシー』を書いた。

 内容としては、アメリカは諸条件の平等が極限に達したデモクラシーのもっとも発展した国であり、デモクラシーが共通の未来である以上、アメリカはフランスの未来である、というものだった。

 トクヴィルの著作は、アメリカにおいては歓迎され好意的に読まれる一方、いまだ不平等が根強かったフランスでは人気がなくそれほど読まれないまま埋もれてしまった。だが現代になってみると、その平等を基本とするデモクラシーの射程は歴史を予言していたことが分かる。

 本書は、トクヴィルの思想について平易に記述した好著である。トクヴィルの原典に当たる前に読んでおくといいだろう。トクヴィルの「民主的人間(ホモ・デモクラティック)」の思想など興味深いし、フランス革命についての考察に関しても触れてある。フランスにおいて彼は時代を先取りしすぎていた存在だった。だがアメリカにとっては自らの原像を映し出す好ましい思想家だった。

竹内信夫『空海入門』(ちくま新書)

 

  空海がどういう人だったかということについて書いた入門書。

 空海は高野に愛着を持っていて、そこを修業の場として選んだ。官僧として業績を上げていく一方で、本人は自由な修行僧として求道することを望んでいた。それでありながら、空海は詩人や芸術家など幅広い人たちと交流する開けた人物だった。

 何よりも、空海長安への留学の成果として、全く新しい密教を持ち帰ったその進取の気性において秀でていた。新しさを好み実際に新しさに誇りを抱いていた空海モダニストの名に値する。

 本書においては空海の人物像しか見えてこない。引用される文献も彼の思想の内容自体は伝えてこず、空海の思想を知るためには同著者による『空海の思想』を読むのが良いと思われる。いずれにせよ、空海は古いようでいて全く新しい人であり、その生の脈動が伝わってくるような生き生きとした筆遣いだった。

清水真木『友情を疑う』(中公新書)

 

友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書)

友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書)

 

  友情についての哲学史。友情論の根本問題は、それが公的空間におけるものかそれとも私的空間におけるものかという問題である。

 キケロは友情によって公共性に反する行為を取ることを悪とみなした。アリストテレスは友人との付き合いは共同体の基礎となる公的なものだと考えた。

 それに対して、モンテーニュはたった一人の親友との私的な友情に神秘を感じ、公的な行動よりも優先した。さらに、その後の道徳感覚を主張する哲学者たちも、人間の利他性や共感による友情を認めた。それゆえ万人が万人の友人となりえるのだった。ルソーに至っては、弱い人間同士の間の憐みによって真の友情が生まれるとして、友人は互いに秘密を持ってはいけないなど主張した。

 フランス革命では、自由・平等・友愛が掲げられたが、ここでの「友愛」は政治的信条を一にするという意味であり、信条の違う相手を排除するという危険なものであった。

 清水真木は、哲学の痒いところを突いてくる。普通に暮らしている人が、ふと「これって何だろう」と思いを致すような日常的なテーマについて、哲学者たちの意見を整然と並べるのが得意である。今回は「友情」というテーマで哲学を整理していたが、それが公共性にかかわる問題であるということは目から鱗であった。日常的なテーマはもっといろいろあると思うので、どんどん哲学的に解説を加えていただきたい。

實川幹朗『思想史の中の臨床心理学』(講談社選書メチエ)

 

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

 

 意識と無意識というものが思想史上どのように扱われてきて、それらの位置づけが臨床心理学によって革命的に変わったとする本。 

 臨床心理学の思想的意味として、無意識を意識化することで病が治癒する、という意識の特権化がある。だが、中世では意識とは感覚的な認識にとどまり、個別的で物質的であるため普遍性を持たないものとされた。認識が高度化すればするほど、それは普遍性を持ち物質から離れ、無意識に近づいていく。無意識は高度な認識に導く働きを持っていた。

 だが、19世紀後半に臨床心理学によって「意識革命」が起こり、無意識を意識化することで物事が解決するという思想が生まれ、同時に意識を個人的なものとみなすようになった。

 本書は意識と無意識を巡る思想史であり、心理学と哲学を架橋する興味深い本である。その中で臨床心理学に特異な位置を与えている。意識革命の背後には近代科学の成熟があるのだろうが、とにかくこのような角度から語られる思想史は珍しい。今当たり前に思われている個人的な意識の系譜学的考察である。