社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

岡本浩一他『組織健全化のための社会心理学』(新曜社)

 

  組織不正とはどのようにして起こりどのようにして防げるか、社会心理学の観点から検証した本。

 組織の重大な不祥事は、しばしば意図的に行われる。違反等を防ぐ役割を果たすはずの会議等がうまく機能していないのである。ものごとではなく「誰が発言したか・決定したか」を重視する属人的風土の強い組織ほど、意図的な違反が起こりやすい。

 違反等が生じたとき、内部申告や公益通報が行われることがあるが、内部申告は申告者の組織への帰属意識が弱い場合や逆にとても強い場合に起こる。職業的自尊心(ノブリス・オブリジェ)が高いほど違反等を防げる傾向がある。

 組織的な違反等がどのような仕組みで起こるのかを科学的に検証していて興味深い。具体的なデータを示して論証していくので説得力がある。このような社会科学的手法により組織健全化を図っていくのは極めて正当な方法だと思われる。

楠木新『左遷論』(中公新書)

 

左遷論 - 組織の論理、個人の心理 (中公新書)

左遷論 - 組織の論理、個人の心理 (中公新書)

 

  左遷と呼ばれる現象を通じて日本型組織の論理に迫る本。

 サラリーマンは人事に非常に興味を持っている。特に自分が低い地位へと移される左遷は屈辱的なものである。しかし、人事担当者側からすれば、人事異動における裁量はそれほど大きなものではなく、空いているポストに人を当てはめていくだけだから左遷という意識はない。だが、サラリーマンはたいてい自分のことを三割高く評価しているので、人事担当者の評価と自己評価がかみ合わず、左遷でない異動を左遷ととらえるという現象が起こってくる。但し、現代ではハラスメント加害者等を意図的に左遷される事例も出てきてはいる。

 左遷は人生の転機となることが多い。左遷によって改めて自らの人生を見つめなおし、そこから人生の道筋を変える人も少なくない。左遷をきっかけに転職したり資格を取ったりする人は多い。そこでそれまでの狭い視野から解放されるのである。左遷は人生を見つめなおすチャンスでもある。

 本書は人事担当者の視点から左遷について語ったものであり、学者の書いた科学的な本というよりはビジネス書に近い。それでも組織運営の内幕や日本型雇用の特異性などが分かり非常に面白かった。いちサラリーマンとして、左遷されたときの心構えにもなったように思う。

人生の正午

 人は40歳くらいになるとそれまでの人生を振り返り、「自分の人生はこれで本当によかったのか」「自分の人生は空虚だったのではないか」という疑念に襲われることがよくあるらしく、この時期を「人生の正午」と呼ぶ。ちょうど人生の真ん中の折り返し地点で自分の人生を俯瞰的に眺めてしまうのである。私はまだ30代ではあるが、早めに人生の正午がやってきたので自分の人生の振り返りをしたいと思う。自分の人生を簡略化するといくつかの対立軸が見えてくる。

1 理想と現実
 私の人生は理想を抱いては現実の前で挫折し、それでもより良い方向へ歩いていこうとする選択の連続だった。学問について理想を抱いていたが、就職難という現実があり、結局就職をしながら空いた時間で勉強をするという生活に落ち着いた。社会について理想を抱いていたが、理不尽という現実があり、結局よりよい社会を築くために日々努力するという生活に落ち着いた。
 こうあってほしいという理想を掲げながら、そうではない現実を前にしていかに和解点を見つけていくかという探索の連続だったと思う。

2 孤独と連帯
 私の人生は、人間の絶対的な孤独を感じながらも、同時に人間が社会的存在でもあるという両義性の中で引き裂かれていた。孤独な少年時代を過ごし、多くの人と交わる青年時代を過ごし、そんな中で孤独とも連帯とも折り合いをつけること。人間は孤独でも生きられないし、かといって孤独を捨て去ることもできない。その間の揺らめきがあった。
 もっと抽象的に他者との関わり合いの問題といってもいいかもしれない。自分に先立って存在する他者と孤独な自分との応酬。

3 個人と社会
 私の人生にとって社会というものの存在は大きい。社会の発見は割と遅くやってきたが、この得体のしれない社会というものの中で個人がいかに生き延びていくかということは、社会人として生きる中で一番の課題となった。読書の比率も圧倒的に社会に関するものが多くなり、社会と実存との関わり合いが自分の思索や創作の大きなテーマとなった。
 抽象的に言うならば、三人称と一人称の関わり合いの問題であり、この社会という三人称の中に謎や神秘を見出すようになったということである。

4 虚構と真実
 私の人生にとって演技というものは重要な位置を占めている。人はみな本音と建前を持っている。特に社会人として生きる場合、虚構としての社会的存在に自らがならなければならない。その虚構というものと真実の自分というものがどう関わるか。虚構はいつか真実になり、虚構は真実に引き寄せられ、とにかくこの演技の舞台では複雑な事態が生じている。
 また、私は創作者として常々虚構の文章を書いている。その虚構の文章と自らの実存の関わり合いは尽きせぬテーマである。

細田晴子『カストロとフランコ』(ちくま新書)

 

  冷戦期、スペインとキューバは独自の外交路線を敷いて互いに影響し合った。両国が国交を維持したのは、以下の三点に要約できる。

 まず、スペインもキューバも冷戦の二極対立から外れた位置にあり、独自外交政策を強調したこと。次に、カトリックを通じたスピリチュアルなつながりがあったこと。さらに、プラグマティックな通商政策の存在。

 それだけではなく、キューバは元スペインの植民地であったという歴史的なつながりや、モラルを重視するという国民性のつながりもあった。

 本書は大文字の歴史からは漏れてしまう隙間を埋めるような書物であり大変好感を持った。冷戦期、確かに二極対立から外れた国々も多かったわけであり、その具体例としてのスペインとキューバはとても興味深い。もちろん、ソ連やアメリカとの駆け引きもたくさんあったわけであるが、外交というものはなかなか複雑である。

金慧『カントの政治哲学』(勁草書房)

 

カントの政治哲学: 自律・言論・移行

カントの政治哲学: 自律・言論・移行

 

  カントの政治哲学について緻密に論じている知的刺激に満ちた本。

 カントは単に政治の理念を掲げるだけではなかった。現実から理念への移行についても思考していた。移行とは、望ましい政治社会の理念への接近の方法であり、常に漸進的なものであった。

 移行には三段階ある。まず自然状態から法的状態への移行である。法はすべての人が有する根源的な権利を保障するために存在し、強制的である。自然状態とはこのような法が不在で、各人の私的な意志のみが存在する状態である。法は人々の統合された意志に基づき、このような意志は共和制においてのみ成立可能である。

 政治的自律とは国家機関を媒介として成立する共同的な自律である。それは、人々の統合的な意志の成立、根源的契約の理念から成立する自律である。政治的自律を制度化した政治体制が共和制である。共和制には法の正当性に関して自らの意思を表明する自己立法の実践とそれを可能にする思考様式が求められる。

 共和政は国際社会の秩序化に貢献する。自己立法の原理が保障されていれば、戦争を避け平和を望む傾向を持つ。国家が共和制へと移行することは、国際社会に平和状態をもたらす可能性が高い。

 本書において、カントの政治哲学がカントの他の思考体系と連続性を保ちながら展開していくのが見て取れる。カントの哲学の体系性が政治哲学においてもあらわになっているといえる。現代の哲学者がいかにカントに影響を受けたかについても論じられており、カントの政治哲学の射程の広さが分かる。久しぶりに哲学のスリルを感じた。