社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

近藤康史『分解するイギリス』(ちくま新書)

 

分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)

分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)

 

  イギリスの伝統的な安定的な政権が現在どのように変化してきたかについて記述している本。

 イギリスは伝統的に民主主義の模範として捉えられてきた。それは、議会主権、小選挙区制、二大政党制、政党の一体性、執政優位、単一国家などの諸要素から成り立つ安定政権だった。

 しかし現代では、①議会主権は国民投票大統領制化、分権化との関係で価値が問い直されており、②小選挙区制は維持されているが部分的に効果が弱まっており、③二大政党制は多党化が進んでおり、④政党の一体性については政党内対立が深まっており、⑤単一国家については分権化が進んでいる。

 本書は、ウェストミンスター・モデルとして民主主義のモデルとされてきたイギリス民主主義が、現在ではEUとの関わりの問題や自治の問題の高まりにより次第に分解してきて、EU離脱に象徴されるような不安定さを露呈している問題について記述している。イギリスの民主主義の変遷を描きながら民主主義とは何かについて学べるイギリス政治入門である。良書である。

池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)

 

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

 

  混乱する中東情勢に歴史的な筋道を与える本。

 オスマン帝国崩壊時に、イギリスとフランスが帝国の領土を分割するために結んだサイクス=ピコ協定、これが現代の中東の混乱を生み出していると短絡的に理解されている。

 だが現実はもっと複雑である。サイクス=ピコ協定ののち、それを修正する形でセーヴル条約、ローザンヌ条約という、より地元の事情に即した帝国分割の条約が結ばれている。いずれにせよ、帝国は何らかの形で分割されねばならなかったのであり、サイクス=ピコ協定がすべての元凶というわけではない。

 むしろ、現在の中東の混乱は、オスマン帝国崩壊後各地で成立した独裁政権アラブの春によって地盤を揺らがせ、領域の管理が弛緩することで生じている。それによって内戦や難民が生じているのである。

 本書は中東の歴史をサイクス=ピコ協定を起点に丁寧かつ簡潔にまとめている良書であり、主張も明確であれば問題意識も明確である。学術的な本でありながらその面白さのためスラスラ読めてしまい、著者の文章力と頭脳の明晰さにはひたすら感銘する。世界にはまだまだ難しい課題を抱えた地域が多数存在する。それを歴史的に丁寧に理解する努力を怠ってはいけない。

擬似宗教のススメ

 宗教というものは超越的な人格者に対する信仰を核とするものである。典型的には神に対して信仰心を抱くという形態をとる。だが、無宗教であっても、人間は超越的なものへとまなざすことができるのではないだろうか。
 日々の雑事に追われていると、世界が神秘に満ちていることに気付かない。だが、ふと足を止め、自然の美しさを見やったりする。すると自然というものはたとえようもなく美しく神秘的に見えることがある。そのとき、人は超越的なものへとまなざしているのである。
 自然だけではなく、例えば自分が生きているこの社会というもの、これもよくよくとらえようとすると謎に満ちた不可思議な動きをしていることが分かる。社会というものもどこか神秘的で、我々の理解を超えていくものである。社会の内奥にも何か超越的なものが隠れているかのようだ。
 それだけではない。私たち個人の人生というもの。これもまた不可思議で、足を止めてよくよく眺めてみると謎に満ちた神秘的なものである。自分が生きているというただそれだけのことも神秘に満ちているし、自分の人格の成り立ちもまた神秘に満ちている。そこには我々を超越する何ものかが潜んでいるかのようだ。
 このように、自己であったり社会であったり自然であったり、とにかく世界というものは謎に満ちた神秘的なものであり、そこに何かしら超越的なものを感じとることができる。特に何らかの神を信仰していなくても、人はときおり世界の神秘の前に超越者の臨在を感じとって、そこへまなざすことができる。これは宗教ではないかもしれない。だが、世界の謎を鋭敏に感じ取っているとき、世界はたとえようもなく美しいし、我々はその謎に対して戦いを挑んだり理解を深めようとしたりする。世界の美しい謎を鋭敏に感じ取り、そこへと戦いを挑んでいくということ。そのような生き方は楽しくないだろうか。

武田清子『背教者の系譜』(岩波新書)

 

背教者の系譜―日本人とキリスト教 (1973年) (岩波新書)

背教者の系譜―日本人とキリスト教 (1973年) (岩波新書)

 

  日本人とキリスト教のかかわりについて論じた哲学的断章。

①日本人とキリスト教

 日本人はキリスト教受容に壁を持っている。そのような日本人の超越者へのアプローチの仕方としては、神を高さにおいてではなく「生の中心における深み」において見出す。すべての存在の根底、我々の人格的生の深み、我々の社会的、歴史的存在の源に神を見出す。

②正統と異端の間

 正統と可能性としての異端との緊張関係の中間に思想的に身を置き、それを底辺としたもう一つの極(非キリスト教文化・社会の領域)に自らの問題意識を問い詰めていく、それが「正統と異端の間」であり、この位置からキリスト教についての創造的な思想が生まれる。

木下順二のドラマにおける原罪意識

 木下順二は、ヨーロッパにおいて絶対者の下で可能となる原罪意識、それが日本にもなくてはならないと考え、絶対者がいない日本においても民族的原罪意識を民族の真の連帯の基礎として、どらまの厳粛な通奏低音として繰り返す。

 本書はキリスト教哲学の立場から日本におけるキリスト教受容の孕む問題を主題化し、それらについて哲学的に論評した刺激的な本である。「背教者」をテーマとしているようなタイトルだが、それよりは正統とは違った仕方で絶対者へと近づく方途を探っている日本人のキリスト教受容について語っている。非常にクレバーでスリリングな評論である。

速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)

 

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

 

  最近の若者たちの特徴についてある程度理論化された仮説を提示した書物。

 現代の人々は、過去の実績や経験に基づくことなく、他者の能力を低く見積もることに伴って生じる「仮想的有能感」を持ちがちであり、それは時代を反映する若者に特に顕著である。仮想的有能感は中高生が特に多く、また老年世代にも多く、青年世代に少ない。

 仮想的有能感自尊感情の組み合わせで4つのタイプの人格類型を区別できる。

①仮想型(仮想的有能感、高、自尊感情、低)

 本人の能力不足を他人のせいにする。周りの人の失敗に敏感で簡単に批判する。このタイプが問題である。

②全能型(仮想的有能感、高、自尊感情、高)

 本人の実力に裏付けられた優越感を持つ。

③自尊型(仮想的有能感、低、自尊感情、高)

 他者を尊重し自分も尊重する。望ましいタイプである。

④萎縮型(仮想的有能感、低、自尊感情、低)

 他者に不満はないが、自分にも自信がない。

 本書は仮想的有能感という概念を提示し、それに基づき現代社会をバッサリと斬っている本であるが、どうも文章の調子から、「今どきの若者は…」と若者を感情的に軽視している雰囲気が感じられる。著者自体も若者に対して仮想的有能感を抱いているかのような書きぶりなのだ。ある意味、著者自身も仮想的有能感を抱いているからこそ、このような現状分析が可能だったのかもしれない。いずれにせよ、とても面白かった。