社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

正義の隠蔽作用

 SNS上でよくみられる炎上現象を見ると、失言などを攻撃している人たちは大方自分を正義の側の人間とみなし、失言などをした人の欠点を突いているのである。一般的に言って正義に従って行動しているということは人々に安心をもたらす。正義に従っていれば自分は非難されることがないからである。
 だが、人が正義に則って他人の非を攻撃しているとき、そこではその人の別の部分における不正が隠蔽されている。正義に則って他者を攻撃する人でも何らかの非は抱えている。だが、正義を味方につけることはあたかも自分の他の欠点を無効化するような効力を発揮する。正義はみずからの非を隠ぺいする作用を果たすのである。
 これは何も炎上現象に限ったことではない。例えば就職する、結婚する。すると、いかに自分がいろいろと人格的に問題を抱えていようとそれだけで肯定されたように感じてしまう。就職しておけばとりあえず安心、あとは問題ない。結婚しておけば大丈夫、あとは問題ない。規範に則るということはそのような思考停止を導くのである。
 自分は正義を体現している、それは素晴らしいことだ。正義に基づいて不正を告発する、それも大したものだ。だがそのように正義に酔っているとき、自らの欠点や不正は隠蔽されてしまう。あたかも正義が自らの全領域にいきわたっているかのような錯覚が生まれるからだ。正義を唱えるときこそ、逆に自らを省みないといけないのではないだろうか。

 

鈴木透『性と暴力のアメリカ』(中公新書)

 

性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書)

性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書)

 

  アメリカは植民地として作られたため、人々はそこでお互いのかかわり方を新しく作り上げる必要があった。性と暴力というのはまさに人と人とのかかわり方の問題であり、それゆえ新興国アメリカにおいて性と暴力というのは大きなテーマとなった。

 アメリカの性の問題は、異常な性行動とみなされたものをめぐる対立の歴史である。性革命以降、かつての排斥運動は確実に弱まり、同性愛が認知され、妊娠中絶が合法化され、人種と性をめぐるタブーが後退している。性を直視する伝統は、多様な性関係を統合し人と人との絆を重視している。

 アメリカの暴力の問題は、自警団のころから引きずっているリンチの伝統と銃社会の伝統からいかに逃れるかの歴史である。銃規制の有効な手立ては見つからず、少数派を排除するリンチの伝統は環境差別やリンチ型戦争として残存している。

 本書はアメリカの歴史を紐解きながら、そこで性の問題と暴力の問題がどのような経緯をたどってきたかを詳細に論じている。確かに本書で挙げられているアメリカの問題は日本にはあまり見られないものであり、アメリカに特有なものであると思われる。そのような特異国としてのアメリカが世界の覇権国として君臨することの危険については十分理解しなければならない。

柏木恵『地方税のしくみ』(学陽書房)

 

図解よくわかる地方税のしくみ (図解よくわかるシリーズ)

図解よくわかる地方税のしくみ (図解よくわかるシリーズ)

 

  地方税に関する法的知識や制度を図解で簡便にまとめたもの。

 主に実務担当者が自分の仕事を俯瞰するためのものだと思う。市税も県税も一緒くたに扱われているので、細かく知りたい人には当然物足りない。とりあえず基本的な考え方や制度について、シンプルに理解するための本である。

 実務に携わりながらもいろいろと盲点はあり、基本中の基本の事項であっても抜けているものはあった。そういう意味でも一読の価値がある。

今野晴貴『ブラック企業』(文春新書)

 

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

 

  ブラック企業告発の先駆けとなった本。

 ブラック企業には様々なパターンがある。月収を誇張したり、正社員を偽装したり、入社後も選抜が続いたり、戦略的にパワハラを行ったり、残業代を払わなかったり、異常な長時間労働を強いたり、労働者をやめさせなかったり、職場崩壊を放っておいたり。ブラック企業は若者を精神的に追い詰め、鬱など様々な精神障害を引き起こし若者を使い捨てる。治療が必要となった若者のケアは社会にゆだねられ、社会に多大なコスト負担を強いる。

 ブラック企業は若く有益な人材を使いつぶし、若者の将来像を不透明にする。また、うつ病などの医療費のコスト、過労死のコスト、転職のコスト、労使の信頼関係破壊のコスト、少子化のコスト、サービス劣化などをすべて社会に押し付ける。ブラック企業は若者個人だけでなく日本社会にとっても多大な害悪を及ぼすのである。

 ブラック企業対策としては、戦略的に戦う必要がある。団結したり労働法を学んだり、個人が素手で太刀打ちできる相手ではないので、集団で理論武装して立ち向かうべきだ。

 本書は多数の労働相談をもとにブラック企業の存在と問題点を洗い出し、ブラック企業について入念な分析を行っている。ブラック企業大賞など民間の働きや人々の意識改革などにより、本書が書かれたころよりはブラック企業は減っていると思われるが、以前労働者にとっては脅威的な存在である。間違ってブラック企業に入ってしまったら自分の人生自体が破壊されるし、家族や周囲にも迷惑がかかる。労働法をよく学び、戦略的に戦っていくほかないのだ。

友人の死から考えたこと

 今年の4月、私の親友が死んだ。自殺なのか病気なのか詳しくは知らない。だが、彼の一生は不幸だったと私は思う。
 大学生のとき、彼は恋人と楽しく学生生活を満喫していた。だが、理系の大学院に入って、そこでの過重負担のストレスで酒に逃げアルコール依存や鬱などを発症した。恋人とも別れ、その後大学院を中退、実家に帰って鬱々とした日々を過ごしていた。何年か経ってようやく働けるようになったが、仕事はどれも長続きせず、主に介護職を転々とした。最後はつぶれる寸前のバーの経営に携わり、そのまま亡くなってしまった。
 彼は人生においていろんな社会の矛盾と直面している。まず、理系大学院のブラックな環境。彼の不幸はここから始まっている。理系大学院の運営を、スタッフ増員や院生の負担軽減などで改革していかなければならないだろう。
 次に雇用制度。彼のように気分が落ち込んだりして仕事が長続きしない人でも普通に働けるような、多様性を認める労働環境が求められる。さらに、介護職の現場は厳しい割に賃金が安い。介護の現場がもっと魅力的になるように社会を変えていく必要がある。
 また、健康に配慮する啓発などももっと必要かもしれない。親友はかなり太っており、それが彼の死期を早めたと思う。そして、結婚への援助。彼も結婚していればもっと心が安定して幸せに暮らせたはずだ。
 私は彼の死が無念でならない。彼は社会に殺されたのだと思っている。だが今の社会が一朝一夕で変わるはずもないし、私に社会を変える力はほとんどない。だが、私は彼の死を無駄にはしたくない。彼の死であらわになった社会の矛盾に対しては、微力で構わないから少しでも改善の方向へ援助していきたい。それが私の彼に対する最大の供養となるだろう。