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故意と悪意

 故意も悪意も、ともに特定の事実の認識であるという意味では同じである。だが、故意と悪意には様々な違いがある。

 まず、(1)故意によって認識される事実は、認識主体の行う事実であるが、悪意によって認識される事実は、取引の相手方などの状態についての事実である。

 さらに、(2)故意によって認識される事実は、法によって禁止された事実であるが、悪意によって認識される事実は、特に法によって禁止された事実でもなく、外観によって隠された単なる真実である。よって、故意があるときの行為は規範障害を乗り越えるが、悪意があるときの行為は規範障害を乗り越えるわけでもない。

 また、(3)故意は不利益をもたらす行為の前提となっているが、悪意は特に相手に不利益をもたらす行為の前提ではない。

 法が行為主体に効果を及ぼす場合、行為主体に不利益を与える、行為主体に利益を与える、行為主体に不利益も利益も与えない、という3パターンがある。故意がある場合、それは相手方に不利益を与えるため、行為主体にも不利益が課される。一方で、悪意があっても相手方に不利益を与えるわけではないので、行為主体は利益も不利益も受けない。悪意である場合、認識者は外観を信頼した者への保護という利益が得られないだけであり、それは特に不利益でもないだろう。故意は認識者への制裁を基礎付ける認識であり、悪意は認識者への保護を阻却する認識である。