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社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

利益を与えないこと

法哲学

 利益を与えないということは、不利益を与えるということになるのだろうか。それとも単に何もしないということになるのだろうか。

(1)利益を望んでいる主体が利益を得る可能性がない場合
 例えば、健常者が障害者年金を望んでいる場合。健常者である以上、障害者年金は法的にもらえるはずがないのだから、行政庁が健常者に障害者年金を与えないからといって、健常者に格別の不利益を与えているわけではない。行政庁は単に何もしていないだけである。

(2)利益を望んでいる主体が利益を得る可能性があるが、確実性まではない場合
 例えば、軽度の障害者が、少し重めの障害認定を求めて、障害者年金を望んでいる場合。行政庁は、認定の仕方によって、障害者に望んだ年金を与えるかもしれないし与えないかもしれない。このとき、行政庁が障害者の望む額を与えない場合、障害者は望んだ額を得た可能性はあるのだから、その可能性にかけた期待が害されたという軽度の「不利益のようなもの」が、障害者に対して与えられている。

(3)利益を望んでいる主体が利益を得る確実性がある場合
 例えば、障害者が望んだ年金を得る基準を確実に満たしており、行政庁が義務懈怠により年金を与えない場合。このとき、障害者は既に年金を手にしているに等しく、それゆえ行政庁が年金を与えないということは、行政庁が障害者から年金を奪っているに等しい。年金を奪っている以上、行政庁は障害者に不利益を与えているといえよう。

 つまり、利益を与えないということは、利益を望んでいる主体が利益を得る可能性が高まるに従って、不利益を与えることに近づいていく。これは程度問題であり、利益を与えないということがどこから「不利益を与えている」と言えるかの線引きは難しい。