社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

意思と判断

 裁判とは、裁判所の「意思」や「判断」を外部に表示する行為であるとされる。だが、ここでなぜあえて「判断」の表示まで裁判に含めているのであろうか。民法や行政法だったら、意思の表示を行為としてとらえていて、判断の表示は特に行為としてとらえていないはずである。

 それでは意思と判断の違いは何だろうか。例えば売買契約を締結する際、当事者は、そこで提示された条件が妥当であると「判断」するとき、契約を締結する旨の「意思」を表示する。判断とは現在形の評価に過ぎず、意思表示の前提であり、それに対して意思は未来を志向している意図であろう。

 では、現在形で事実を評価するだけの判断を、なぜ裁判という行為とみなすことができるのか。法律学においては、基本的に心理活動を行為としてみなすときには、何らかの未来を志向した意図、つまり意思の表示が必要なはずである。だがここで、判決には、給付判決と形成判決だけでなく、確認判決もあることを考えねばならない。給付判決は「支払え」などの命令であり、形成判決は「離婚する」などの法的効果の未来的形成である。それに対して、確認判決は、訴訟物たる権利が存在することを、主張や証拠に基づいてただ判断しているだけなのである。その単なる判断によって既判力などの法的効果が導かれる。

 確認判決を裁判として認めるために、裁判の定義の中に意思の表示だけでなく判断の表示も入れなければならなかったのではないか。