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自分についての決定と他人についての決定

 自分のことは自分で決める、それが憲法の保障する自己決定権や自由権である。この原則が集団において発現するとき、それは純粋な民主制であろう。つまり、自分たちのことは自分たちで決める、という原則である。

 ところが、自分一人でいる分には自己決定は自分についての決定でしかないが、複数の人間がかかわってくるとそうもいかない。例えば、二人の人間の間でも、もはやそこには「他人についての決定」が生じてくる。

 Aが、「このパンを売ってくれ」と申し込む。それに対して、Bは自らの意思で承諾し、契約が成立してパンは引き渡される。このとき、確かにパンを売ることの最終決定権はBにある。だが、Aは申し込みをすることで、間接的にBの行為を決定しているとは言えないか。これが職場の上下関係や奴隷制度における関係となると、Aの「パンを渡せ」という意思決定が、そのままBのパンを渡す行動を決定することになる。

 また、二人で食事に行く時、「どこに行く?」「どこでもいいよ」というやりとりがなされるが、「どこでもいいよ」という意思表示は、自分の行動を相手の意思決定にゆだねる意思表示である。「じゃああそこの店にしよう」という意思決定は、相手方の事前の同意をもとに相手方の行動を決定する。もしも「あそこの店」が法外に高い店だったら、「いや、それはだめだ」という拒絶がかえってくる。他人についての決定は、他人の委任した範囲でしか効力を有しない。

 つまり、二人の人間の間でも、(1)一人が提案をすることにより間接的に相手の行動を決定する、(2)相手の事前の同意の範囲内で相手の行動を決定する、このような「他人についての決定」が生じてくるのである。

 民主制における多数決とは、個人が、自分が少数派になったときには多数派の意見に従うことを事前に同意した上で、提案をすることで間接的に相手の意思決定を左右しようとし、実際に少数派になった時には事前の同意にしたがって多数派の意見に従うことである。

 ここから、多数決に同意をしていない人についての決定を多数決でしてよいか、という問題が生じる。ある人が他人に決定されるのは、その決定を受け入れることを事前に同意しているからだ。この場合、その事前の同意がないではないか。結局、多数決に同意しない人を多数決によって規律することは、その人の意思に反してその人の行動を決定するという、奴隷制や上下関係に似たようなことをしているのである。