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可能性と存在

 たとえば私が人を殺した可能性が高ければ、私は処罰されなければならないのだろうか。私が人を殺したのならば、私は処罰されなければならない。だが、単に「殺した可能性が高い」というだけで「殺した」ものとして処罰されることは適当だろうか。

 存在した可能性が高ければ存在したものとみなし、存在した可能性が低ければ不存在とみなす。このような思考方法が法のコンテクストではしばしば用いられる。裁判官の事実認定はまさにそうである。ほかにも、将来債権が現在は存在していないのに現在譲渡できるのは、将来存在する可能性が高いから現在において存在が擬制されるからであろう。また、危険犯の処罰の根拠をあくまで法益侵害の結果発生に求めようとするならば、危険犯処罰とは、結果発生の可能性の段階で結果発生を擬制することであるといえなくもない。さらに、意思無能力者の契約が無効とされるのは、意思の合致の事実が存在した可能性が低いため、意思の合致が不存在とみなされるからであろう。

 「存在の可能性」の位相と、「存在」の位相では、存在論的に次元が異なる。純理論的には、両者は断絶していて架橋不可能なはずである。だが、「存在の可能性」から「存在」「不存在」を導いているのが法的な思考方法である。越えられないはずの断絶をやすやすと越えて事実を認定し、それを前提に執行がなされたりする。法のコンテクストでは、可能性と存在との断絶が絶えず架橋されていることに気付かなければならない。