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「ブラックジャック」のすごさ

 手塚治虫の「ブラックジャック」の主人公であるブラックジャックは、医術によって人を治すことをほとんど絶対的な価値として信じています。彼は神業でもって、普通の医者には治せないような病を手術によって次々と治していきます。そのヒロイズムだけを描いたのなら、手塚は単なるその辺の少年漫画家と変わりません。手塚がすごいところは、Dr.キリコという登場人物を作り上げたことです。

 キリコは、死にゆく苦しみにもがいている人を次々と安楽死させていきます。「人を生かすことより殺すことの方がその人のためになることがある」、このような思想をブラックジャックの前に呈示します。これはブラックジャックの信奉する「人を生かす」という絶対的な価値を揺るがすものです。ブラックジャックはそこで悩みます。本当に人を治すだけでよいのか、と。結局彼は、「それでも私は人を治す」と結論付けます。

 つまり、「ブラックジャック」のすごさは、(1)人間が何らかの価値をほとんど絶対的に信奉していることを示すこと、そして(2)その価値が実は絶対的ではないことに気づいてしまったときの人間の葛藤を描いていること、にあります。僕はどこかで学問的な追究を絶対的なものだと信じていました。ところが、よく考えるとそれは絶対的なものではなく、たとえば温かい家庭を築くこと、事業を成功させること、従業員としての職務を全うすること、などなど世の中にはほかにも様々な価値があり、それらはそれぞれ特定のある人にとっては絶対的なのかもしれません。

 それに気づいたとき、僕は途方にくれました。あらゆるものに価値がないかのようにも思えて、生きていることさえ無意味にも思えました。まさに、ブラックジャックの前にキリコが現れたときのような葛藤を感じました。答えがないということに気づくことはなんと不幸なことでしょう。そして、自分の信奉していた価値が信じられなくなるとはなんと不幸なことでしょう。「それでも私は学問をやるんだ」、そう言いきれるほど、僕はまだ十分悩んでいない気がします。