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非難

 刑事責任は行為者への非難によって根拠づけられるとされるが、この非難というものも、いくつかの段階で別々に観念することができる。

 行為者は、まず、(1)非違行為についての意思を抱く。次に、(2)規範障害を乗り越える。さらに(3)実行行為をする。そして(4)結果を発生させる。さて、刑法的な非難とはいったいどのレベルで発生するのだろう。

(1)ある人が「あいつを殺したい」と思ったとき、それは道義的な非難に値する。だがそこには刑法は介入できない。なんら法益が侵害されていないからである。よって、刑法的な非難を向けることはできず、行為の意思は非難を向けるための前提に過ぎない。

(2)ある人が「あいつを殺すことに決めた」として、「あいつ」の家へ向かったが「あいつ」がいなかったので殺せなかった。このとき、よく故意責任の根拠とされる規範障害の乗り越えはある。だが、実行行為に着手していない。この段階でも、同義的非難はすることができる。(1)以上に。だが、まだ法益侵害の危険性は十分高まっていず、刑法的な非難を与えることはできない。

(3)ある人が、「あいつ」を見つけ出し、銃を向け発射した。このとき、法益侵害の結果発生の危険性は十分高まっており、またこのような行為は刑罰法規が抑止しようとしているまさにその種の行為である。一般予防は結局行為を予防しているのであって、意思を予防しているのではない。刑法的な非難を与えることが可能である。

(4)その結果「あいつ」は死んだ。これによってまさに法益侵害の結果が発生しており、刑法的な非難に値する。

 犯罪が内心にとどまっているうちは、せいぜいそれに対する道義的な非難を行うことができるにすぎない。思想・良心の自由は、それが内面にとどまっているうちは、内容のいかんに問わず、絶対に保障される。だが、それが外部に現れ、行為として、結果として違法であれば、それは社会をかく乱するわけであり、警察的権力が見逃すことはできない。そこで、刑法的な非難が発生し、刑罰が下される。