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twitter

 最近ろくな記事が書けていない。呟いているだけならtwitterでやればいい。私がtwitterができないのは、(1)他人の直接的な声の氾濫に耐えられないこと、(2)構成していない文章を安易に公表することに抵抗があること、(3)相手とのやり取りが中途半端で物足りないこと、による。

(1)私は神経的に疲れているせいか、他人の声に臆病になっている。穏便で論理的な文章は好んで読むのだが、直情的で私の感情を揺さぶるような呟きに耐えられない。これはたぶん私が恒常的に疲れているせいだろう。mixiですら他人の日記が怖くてろくに読めないのである。タイトルを見るだけでしんどい。なのに、twitterでは中身が直接表示されるのだから、神経疲労の私にとっては地獄だ。

(2)私はある意味ナルシストである。どういう意味でナルシストかというと、自分の書いた文章の出来が良いとそれに満足してそれだけで楽しめるという意味である。逆にいえば、自分の文章がよく書けていないと、自己嫌悪に陥る。twitterでは、字数が少ないから、きちっと構成して、自分なりに満足できるような文章が書けない。だから、自己嫌悪ばかりが募り、ナルシズムが満足されない。

(3)私はアナログ人間である。人との関係でいったら、直接会うのが一番好きで、電話がその次、親しいメールがその次、そしてその次がtwitterのやり取りである。twitterにおける言葉足らずで中途半端なやり取りでは満足できないのである。だから常に欲求不満が募ることになる。また、それほど親しくない人とのやり取りでは、人見知りの私は無駄に緊張する。ネットのやり取りにはこの緊張が常に付きまとうので、元気じゃないととてもできない。

 以上、twitterに適応できない私がなぜtwitterに適応できないか、それを私の特性から説明しました。