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暴力

 以下のような文章をある場所に載せようとした。

■暴力というものを考えています。何かを破壊するということを総じて暴力と呼ぶならば、人間のあらゆる営為は暴力になりうるかもしれません。物事を言葉で把握すること自体、その物事の無二性を破壊し反復可能なものにするという意味で、暴力ともいえます。かといって沈黙することも、あまねくコミュニケーションの欲望を破壊するという意味で暴力になりえます。そもそも外界を把握すること自体、例えば物を見るということ自体、外界のプライヴァシーを破壊するという意味で暴力かもしれません。ですが、暴力が許されることもあります。例えば正当防衛や必要悪というもの。迫り来る危難を避けるためには、暴力をふるうことも許されると思います。そもそも、外界が存在すること自体が、私たちに対する迫りくる不正な暴力ととらえることも可能です。それに対抗して言葉を発すること、例えば詩や批評を書くこと、それは正当防衛や必要悪として許容されるのかもしれません。

 すると、編集の女性からクレームが来た。いわく、「正当防衛や必要悪であっても、暴力は暴力。暴力を正当化するような意見には賛同できません。」

 刑法なんかやっていると、正当防衛に違法性がないなんて明らかのように思ってしまうのだが、世の中、特に女性には、たとえ正当防衛であっても暴力は許容できないという考えを持っている人が多いようだ。それも、結構感情的に暴力を嫌っているようだ。

 そんな風に暴力を嫌って生きてこれた人は幸せだよ。やるかやられるかみたいな修羅場をいくつもくぐっている私からすれば、全く生ぬるい話だ。不正な暴力に対抗するには暴力しかないのだ。国家の自衛権だって認められているし、国家の刑罰権だって認められている。それは結局暴力でしか解決できないことがあるからだ。私も子供の頃は暴力が大嫌いだったが、いろんな経験をして暴力を認めざるを得なくなった。「暴力が嫌い」なんて言ってられる人は幸せだよ。

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