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ケルゼン『純粋法学』

純粋法学

純粋法学


 純粋法学とは、純粋な法律理論である。どういう意味で純粋であるかというと、一切の政治的イデオロギーと自然科学的分子から純化されているという意味で純粋なのである。自然科学は必然(muessen)によって事象と事象をつなげる。因果法則がそれである。だが、純粋法学は、当為(sollen)によって、法律効果を法律要件に帰属(zurechnen)させる。法律学は精神科学であって自然科学ではなく、純粋法学の認識の対象は実定法であり道徳ではない。純粋に実証的に見ると、法は外的強制秩序という社会的技術に過ぎない。不法行為を要件として、強制を効果として発生させるのが第一次的な法の役割である。強制行為を避けよと命ずるのは第二次的な法規範である。

 主観的法(権利)と客観的法(法)の二元論があり、そこでは、法は歴史的に権利から生まれたと主張される。だがこれは、一つのイデオロギーに過ぎない。実際は、法が先にあり、法が義務者に義務を付与するからこそ権利が生まれるのである。仮に法が権利を付与するにしても、そこではまず法が先行しているのであり、客観的法は主観的法に先行する。そして、人格(Person)とは、人為的な思考方法に過ぎず、一束の権利・義務の統一を擬人的に表現しているにすぎない。人(Mensch)は法律的概念ではなく、生物学的概念である。だから、人格と人とは区別されなければならず、純粋法学はまさに人の人格としての側面、つまり権利・義務の統一体としての側面にのみ注目する。同様に、法人(juristische Person)もまた秩序の統一体として認識される。個人と団体との対立というものもただのイデオロギーであり、実際は個人と団体の間の有機的な権利義務の統一体があるに過ぎない。

 実定法と自然法には本質的な違いがある。実定法は道徳や他の規範から独立され定立されている、という意味において。そして、実定法は根本規範によって妥当性を付与される。法律秩序は段階構造をなしていて、憲法を根本に、憲法によって立法の機関や手続きが設定され、それに従って下位の法が設定される。裁判と行政は法律の具体化にほかならない。上級法は下級法の設定手続と設定内容を規律する。それは規定(Bestimmung)・拘束(Bindung)の関係である。だが、この規定・拘束は完全なものではなく、下級法の設定には裁量の余地があり、それゆえ、下級法を設定する際には上級法を解釈しなければならないのである。

 国家と法の二元論があるが、これは、国家を法によって正当化しようとするイデオロギーでしかなく、実際は、国家と法は法律秩序という意味で同一である。また国際法の場面において国家の主権が主張されるが、これもイデオロギーであり、実際は国際法が上位の規範として、国内法を規律しているのである。

 このようにして、純粋法学は、国家間関係、国家と私人との関係、団体と私人との関係、上級法と下級法の関係において、利益対立から生じていたイデオロギーを解体し、イデオロギーとは無関係の、純粋な規範科学としての法律学を志向し、体系化している。