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森村進『自由はどこまで可能か』(講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

 リバタリアニズムとは、個人の財産権、経済的・精神的・政治的自由を最大限尊重する立場である。リバタリアニズムにもさまざまな立場があるが、森村のとる立場は、国家の役割を最小限の警察的作用に限定する最少国家論である。

 リバタリアン自己所有権を重視する。自己の身体の自由を認め、さらには、その身体によって作り出された財への権利、労働生産物への権利も認める。同時に、他人の自己所有権も認めるから、他人へ損害を与えることは許されない。また、不法行為においては、無過失責任の立場をとる。自己所有権を最大限尊重するが故である。

 国防と司法に関しても、それを民間のサービスによって代替させても構わない。だが、刑罰は、犯罪という自己所有権侵犯を予防するものなので、最小限認めてよろしい。ただし、犯罪者は刑務所に収容されるべきではなく、労働によって損害を賠償すべきである。

 リバタリアンは、また市場経済を重視する。それと同時に、非権力的な共同体も重視する。重要なのは政府の社会への権力的介入ではなく、社会が自発的に形成していく様々な組織である。市場は戦いの場ではなく協力の場であり、互いの利益を目指す財の交換が起こる場所である。

 また、リバタリアンは、国民国家という発想を認めない。公的な教育や民族意識による拘束などは、個人の自由を侵害すると考える。だから、参政権に国籍要件は不要である。それよりも、家族という共同体が重要であり、親には教育する権利も義務もある。

 本書は、様々な法哲学的問題に、リバタリアニズムの立場から回答を出している。その議論は直観主義的であるがなかなか説得的であり、何よりも法哲学の問題を顕在化させてくれるのがうれしい。個人の自由と市場経済を尊重することによって、社会の様々な問題を解決しようとしていく論法には非常に好感を持った。