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小原信『孤独と連帯』(中公新書)

 

孤独と連帯 (1972年) (中公新書)

孤独と連帯 (1972年) (中公新書)

 

  孤独と連帯にまつわる哲学的エッセイ。『異邦人』『変身』『人間失格』『こころ』、そしてソクラテスの生き方を題材に、そこで孤独と連帯がどのような様相を持っていたかを論じている。孤独とは人間一人一人が抱えている個別性であり、そのような個別的相対的な存在が他の相対的な存在と絶対的に関わろうとして挫折することから生じる。

 『異邦人』において、ムルソーは社会生活に必要とされる演技をしない。自分の社会化される以前の状態において反抗をつらぬき、自由も責任も負わない。彼は社会に合わせないことにより社会において異邦人となるが、一方で彼から見たら他のだれであっても異邦人なのだ。だが、彼は自己を実現するために他者と連帯する必要を見失っている。

 『変身』において、ザムザは連帯の努力を続けるが、外面が虫になってしまったために連帯は不可能になっている。ザムザの姿は、人間が自己に目覚めて変身(独立)した瞬間、他者から見たら異質なもの(虫)になってしまうことを暗示しているかのようだ。人間は変身の願望を持ち続けるが変わりすぎてはいけないのである。

 『人間失格』において、葉蔵は連帯にこだわり道化を演じ続ける。消極的で自主性がない生き方で相手に甘え、相手に自分の存在を委ねてしまう。彼には反抗がなく、勝負をする前から負けを決め込んでしまうのである。道化芝居は結局自分が何者かを見失わせる。

 『こころ』において、Tは再生を信じることができない。自分の犯した罪を悔いながら、それを妻に告白することもできず、かといってそこから立ち直ることもできない。一度汚れたものを元に戻すという弁証法的な清さの可能性を見出すことができず、表面上の連帯を維持しながらも内面的には孤独のままである。

 ソクラテスは魂の気遣いによって個人的に善く生きることにこだわるが、国家の法を形式的に捉えすぎていて、状況に応じた適切な行動をとることができない。それは一面的には勇気のある行動ではあるが、真実を主観的なところに見出してしまいそれに従ってしまったともいえる。彼にとって死は希望であったが、それは解りえないはずの死の先取りではなかったか。

 本書は孤独と連帯の諸相について、著名な文学作品を題材に精緻に論じたエッセイである。結論としては、自由で主体的な実存としての個人が、自己と他者、すなわち孤独と連帯に対して、状況に応じた適切な身のこなし方をしていくことを提起している。人間は孤独でその孤独を押し通したいときもあるが、余りにも押し通してもうまく行かない。かといって連帯ばかり気にして自己をないがしろにしても自己が空虚になる。孤独と連帯の間をうまく泳ぎ渡っていくことを本書は推奨しているのだ。