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渡辺照宏『日本の仏教』(岩波新書)

 

日本の仏教 (岩波新書)

日本の仏教 (岩波新書)

 

  日本の仏教がいかにして受容され、また発展していったかについての概略を描いた本。6世紀の中ごろ、大和朝廷の最高権力者たちによって仏教は中国から日本に輸入された。日本僧が中国に赴いたり、中国僧が日本に赴いたりして、仏教の継受は続けられた。日本人は主に漢字の経典を学んだが、密教では梵字を学び、その伝統は近世まで続いた。

 日本の仏教者は、深い学識と高い宗教体験を生かして対社会的に活動した人もいれば、研究や実践で本格的なものを求め単純で純真な生活をした人もいる。仏教は寛容の宗教であって、異なった見解や信仰を排撃せず、各個人が既に持っているものを生かすことができる。だから、本格的な仏教の伝統を外れながらも、民衆の中に分け入って民衆の生活を豊かにした仏教者も数多くいた。

 日本において仏教は国家権力と結びつき、呪術祈祷のためにも用いられた。仏教は雑多な民間信仰と緩やかに結びついて行ったのである。仏教は死者儀礼にも用いられるようになった。

 日本仏教には主に六つの系譜がある。(1)律。行いの律し方。仏教の基本。(2)禅。内省的直観。ほとんどあらゆる仏教に伴う。(3)密教。仏教神秘主義。(4)華厳。『華厳経』という仏教文学。(5)法華。『法華経』という民衆的経典。(6)浄土。アミダ信仰。

 本書を読むと、いかに日本の仏教がインドの大元の仏教とかけ離れてしまっているかが分かる。そもそも中国で変容した仏教がさらに日本的変容をこうむっているわけである。しかも権力による助成や民間信仰との結びつきの中で、仏教の寛容性をいいことに日本独自の変遷が生じている。特に、見逃せないのが形式主義だ。仏教本来の教えを忘れ、ただ加持祈祷や葬儀のために儀式として仏教をとらえてしまっているのは非常にもったいない。日本人は一度仏教の本来の教えを学び、少なくとも禅の瞑想などをやってみると、せっかく継受した宗教を無駄にしなくて済むのではないか。