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河野哲也『善悪は実在するか』(講談社選書メチエ)

 

善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学 (講談社選書メチエ (399))

善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学 (講談社選書メチエ (399))

 

  環境は人間を含む動物に様々なものを提供する。地面は休息や歩行を提供し、崖は負傷を提供する。このように、人間が環境との関わり合いの中で、環境から提供されるものを「アフォーダンス」と呼ぶ。アフォーダンスは客観的に実在する意味や価値である。

 このような生態学的観点からすると、「規範」というものは生物にとっては「健康」であって、何ら事実から遊離するものでもない。生命は規範を内在しているのである。社会は有機体ではなく、それゆえ社会の健康・不健康について明瞭に語ることができず、統一的な規範や正常状態を持てない。自然主義の立場からだと個人から社会への問い直しの回路が保持されるのに対し、反自然主義の立場だと社会の規範が所与のものとなってしまう。大事なことは、社会において具体的な人と人との対立が存在するということであって、普遍的規範云々の問題ではない。

 ある行為の道徳的性質は、その効力の対象となった人の利益・不利益によって決定されるが、この利益・不利益は、それぞれの人々における個別的なものであり、対象となった人とのコミュニケーションを経て決定される臨床的なものである。道徳は共感によって与えられる人間同士の自然な共同性から生まれるのである。そして、道徳の「すべき」「すべきでない」という指令性は、受け取ったら与えよ、やられたらやりかえせ、という互酬性によって形成されるのである。

 本書は人間を、生態環境の中で生きる動物の一種としてより生態学的に捉えることで、人間の間で問題となる倫理について説明を試みている。自然も人間もそれぞれ個別に対応関係を持っていて、その具体的な相互の意味性を抜きにしては倫理を語ることはできない。普遍的であったり規範的であったり、そのような理性主義的な傾向を排し、あくまで個別の事物同士の呼応の在り方に倫理のありかを求めていく。現実社会ではきめ細かな倫理的判断が要求されるし、人間が実際に直面するほとんどの倫理的問題は法的なものではなく個々の相手に即した微妙なものなので、この方向性の議論は、日常生活を生きる人間のきめ細かな倫理をよく説明できると思う。