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加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書)

 

映画館と観客の文化史 (中公新書)

映画館と観客の文化史 (中公新書)

 

  文字通り、映画館と観客をめぐる重厚で必要十分な文化史的考察。映画館は観客を世界の中心に位置づけ、世界を視覚的に統御したい人間の欲望を満足させる。映画館において観客はいながらにして世界のどこへでも出かけて、「全てを見る」という幸福な錯覚を得ることができる。映画は写真と違ってよるべき現実世界の参照枠を持たない。よって、映画の立ち現れる場所として映画館を起源として設定することになる。そして、映画はどのように観られるかによってその解釈を異にする。映画鑑賞体験は映画館の在り方に依存するのである。

 アメリカにおいて、1940年代、映画はジュークボックス映画によって、いつでも好きなものを観られる映画を私物化できる装置として世に流布した。それに遡る前映画館時代(19世紀と20世紀の過渡期)、キネトスコープという覗き込み型の映画が出来上がった。そして映画館時代には、ヴォードヴィル劇場による様々な見世物の一環として映画が上映され、やがてニッケルオディオンが1905年から常設映画館として沢山建設されるようになる。ニッケルオディオンが小規模で低所得の移民を沢山取り込んでいたのに比べて、1910年代後半からはピクチュア・パレスという壮麗な巨大映画館が沢山建設されるようになる。そののち、1933年からは車から降りることなく映画が観れるドライヴ・イン・シアターなども登場したが、1980年代以降、ショッピングモール内に位置するシネマ・コンプレックスが支配的になる。そこで観客は、自分が見る映画を選定し、しかるべき時間にしかるべき映画を観に行くという現在の鑑賞状況が確立した。

 日本では何より弁士の存在が特徴的であり、しばしばアイドル化もなされた。サイレント期には伴奏を演奏する楽士も存在した。1913年ころから、実演と映画を交互につなぎ合わせる連鎖劇が現れ、1924年ころから女性歌手を伴ったメロドラマである小唄映画が流行った。その後、ニュース映画専門館が現れたり、1930年代には観客をインテリとミーハーに二分するような上映がなされた。

 本書は、映画の歴史を、作品の歴史ではなくそのハード面、つまり映画館と観客に絞って綿密に記述したたいへん参考になる本である。現在の私たちの映画鑑賞の仕方が必ずしも自明でないことが分かるし、現在の私たちの見ている映画の存在様式も必ずしも自明でないことが分かる。ということは、今後の技術の発展によっては新しい鑑賞体験が生じていくこともまた予想され、この文化史は今後もどんどん更新されていくということになるだろう。どういったものが望ましい映画鑑賞の在り方であるか考えさせてくれる良書。