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被害者意識について

 何か大きな被害を受けたとき、人間は損害を被る。それは物理的な損害でもあれば精神的な損害でもあるだろう。被害者は加害者からその完全性を奪われたわけであるから、加害者に対して完全性を補償せよと要求することができる。これは矯正的正義と呼ばれるものである。与えた損害は償われなければ、人間間の平等を維持することができない。損害は等しく分配されなければならないのだ。

 だが、「被害者」というものは微妙な位置にある。「被害者」は、自分が補償を求める立場に立てたことをいいことに、これをチャンスとばかり加害者に対してどこまでも優位に立とうとする場合がある。いわば、人間の他者から優越したいという欲求の充足にちょうど機会が与えられたかのように、被害者は自己の被害にいつまでも固執し、同時に相手に対する優越した地位にどこまでも固執しようとする。私はそのような被害者意識は望ましくないと思う。なぜなら、そのような場合、今度は加害者の方が逆に被害者になってしまうからだ。被害者による過度な要求に応えていたら、加害者の補償は補償の域を超えてもはや損害になってしまう。そこにあるのは暴力の連鎖、負の連鎖以外の何ものでもない。

 そうではなく、被害者というものは、飽くまで普遍的な正義のために自らの権利を行使すべきであり、自らの損害が補償されたらおとなしく沈黙すべきである。それ以上の暴力の連鎖を続けないために、ただ事実だけは伝え続けるとしても、無意味な感情の表出や権利主張は控えた方がよい。被害者の権利主張は、決してその被害者が他者に対して優越するために行われるのではなく、社会の中で広く正義が維持されるようにするために行われるのである。そこを取り違えてはいけない。

 そして、被害者が適切に持つべき意識というのは、被害を盾にとって他者に優越することではなく、その被害を適切に治癒していこうとする努力である。被害者はトラウマを負っている。それを真摯に治癒していき、悲しみや苦しみを軽減し、日常生活を健常に送っていけるように回復することが大事である。その際、加害者も適切に治癒に協力すべきである。加害者のできることは、誠実な謝罪であろう。被害者が加害者を許せるように、加害者は誠実さでもって被害者に補償しなければならない。被害者は自己の傷の物語化などを通じて、早急に傷を治癒するのが望ましく、被害の事実についてはただ淡々と記録に残しておいて後世に伝えていけばいい。「被害者意識」とは、このトラウマに向けられた意識であることが望ましく、決してヒステリックに騒ぎ立てたり、いつまでもトラウマを温存するように感情を混乱させることではない。「被害者意識」は適切な形態でもって被害者の間で共有される必要がある。トラウマの治癒と、普遍的正義の維持という、望ましい形態で。