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清水学『思想としての孤独』(講談社選書メチエ)

 

思想としての孤独―“視線”のパラドクス (講談社選書メチエ)

思想としての孤独―“視線”のパラドクス (講談社選書メチエ)

 

  孤独とは、一般的には欠如・喪失・不在に伴うものだと思われている。他者や自己自身と疎遠になってしまうことなど。だから、孤独な人間は社会的死を迎えた透明人間のようになぞらえられる。社会的に疎外され、人々から無視される透明人間に。

 だが、孤独感の本質にあるのは、実は欠如よりも「二重性」の経験である。当然視された意味が共有されない「誤解」において、人間には「誤解された分身」が発生する。この分身という怪物が発生することによる負の感情こそが、孤独感の本質なのである。

 本書は孤独の本質を、よくあるように欠如に求めるのではなく、むしろ誤解が生みだす二重性、つまり実体と誤って理解された分身の二重性に求めている。人は足りないから孤独なのではなく、過剰だから孤独なのである。初め、孤独を論じるのになぜ分身を論じるのか疑問であったが、人間は常に社会的にたくさんの分身を抱えて生きている。それらの分身はときに非常にグロテスクであろう。分身が発生することによる行き違いにこそ孤独があるというのはよくわかる。つまり、孤独は常に社会の中で、社会的に分身を生み出されることにより発生するのだ。孤独は社会と不即不離なのであって、一人で感傷的に抱え込むものではないのである。