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文学の社会的機能

 社会は個人に対して物質的で不条理であるというイメージが強い。あるいは社会は個人がその役割を果たすことにより自己実現するステージであるという積極的なイメージもある。だが、積極消極いずれに解するにせよ、個人と社会との関係はおおむねパブリックなものとして扱われる。そこに個人の存在そのもの、実存というものはあまり登場しないかのようである。むしろ、個人はきれいにコーティングされ、化粧を施され、一つの無難な商品として取引されているかのようなイメージがある。
 社会の中で人々は、己の本心をさらけ出すことも少なく、トラブルがあってもマニュアル通り処理され、感情の表出や親しい交渉をなるべく避けるようにしている。それで社会がうまく回ることが非常に多い。組織の論理や法の論理によってトラブルはシステマティックに処理され、人間の実存が登場する暇などないかのようだ。
 だがそれはもちろん社会の表の側面である。社会の裏の側面では個人の愛情や憎しみや喜びや傷が渦巻いている。社会的な出来事は個人の実存にダイレクトに衝撃を与え、それが個人の存在そのものを揺るがす。だが、この表の側面と裏の側面の間をうまく調停することは可能なのだろうか。一方では、効率性や結果を重んじる物質的でメカニカルな社会というものがあり、他方では理屈では説明のつかない人間のカオスのようなものがある。もちろん、社会の原理には個人の原理もまた反映されているから、社会もまた理屈では説明のつかないカオスをいたるところに潜めているわけだが。そうであっても、仮面や化粧の世界と素顔の世界との橋渡しはいかにして可能であろうか。
 私はそこに臨床的な空間としての文学の入り込む余地があると考える。臨床とは人間の声にひたすら耳を傾け、その微細な調子まで繊細に甘受し、人間の実存に迫ろうとする試みであると考える。そして、それは決して心療内科の密室だけで行われるものではない。文学の一つの機能として、人間の存在に臨床的に迫り、人間の告白を真摯に受け止め、それを社会に対して開いていくというものがあると私は考える。小説や詩の類が社会に流通してやまないのは、人間が他人の実存を引き受ける臨床的な読書体験に快楽を感じるからであろう。そこで人間は共感などを通じて自らの実存を再確認する。文学は作者が己の実存を開放する舞台であるのみならず、その告白を読んだものの実存のフィールドも開く。読者は己の実存のフィールドの中に作者の物語を受け入れ、素顔の自分で文学を受容するのである。
 文学の社会的な機能として、私はこのような臨床的空間の提供というものを重要なものとして挙げたいと思っている。