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鷲田清一『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫)

 

「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)

「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)

 

 鷲田は本書で「臨床哲学」を提唱している。臨床哲学とは「非ー哲学」「反ー哲学」であり、(1)論じること、書くことの哲学ではなく、聴くことの哲学であり、(2)誰かある特定の他者に向かってという単独性や特異性の感覚を重視し、(3)あらかじめ所有された原則の適用ではなく一般的原則が揺さぶられる経験としての哲学を志向する。

 臨床哲学は、ある特定の他者を歓待することにより、自分自身も変化させられるという経験である。他者の経験をありのまま自分のものとして受け入れるということ。そして、単に他者の言葉を理解するだけでなく、その振る舞いや声の調子などに触れてともに空間を共有することを重視する。人間は苦しむ存在であるが、ともに苦しむのである。 

 本書は哲学的エッセイとして書かれている。鷲田はこの非ー哲学的な主題を扱うにあたって、非ー哲学的な手法を用いたのである。だから、それほどきちんとした体系があるわけではなく、意味のあいまいな言葉も頻繁に用いられ、それこそ言葉のテクスチュアにじかに触れるような読書経験を得ることができる。確かに哲学は今まで語りすぎていた。能動性こそが哲学の真意であるかのようにとらえられ、受動性がないがしろにされていた。受動性から切り開かれる哲学の豊饒な領野の一端を、本書は示しているといえるだろう。