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環境問題の本質

 

 環境問題の本質は、「失敗から学ぶことで対応できない」ところにあると思う。正確には、「失敗の際に起こる被害が甚大すぎて、そこから学んだのではとても利益と損失のバランスが取れない」ということだ。

 普段我々が事務処理などをしている場合、ミスをしても大した問題にはならない。我々は数人で仕事をしており、ミスはたいてい上司によって指摘される。ミスがミスのまま社会に出ていくことはまれなのだ。だから、ミスは内部的な問題にとどまり、外部的な害悪を引き起こさない。そのようなミスによって我々は仕事について学び、よりよい仕事をすることができるようになる。

 そして、例え我々のミスが外部にまで至ってしまった場合であっても、危機管理を適切に行えば社会的に非難されるところで終わる。間違っても我々の生存自体が脅かされるなどといった重篤な事態は生じない。例えばファックスの誤送信があっても、我々はその過ちから学ぶことができる。

 ところが環境問題は上述した事務ミスとはだいぶ異なった様相を呈する。例えば砂漠化の問題や化学物質汚染の問題、温暖化の問題などは、外部で害悪を生じさせた段階で甚大な被害を発生させる。日本の公害事件を見てみても、被害は人命にまで及ぶ深刻なものだ。もはやそれは「失敗」の域を超えている。もはや取り返しがつかないし、そこから学ぶなどといった悠長なことは言っていられない。とにかく危機への対処に延々と追われるだけになってしまう。我々が失敗から学ぶ材料とするにはあまりにも深刻過ぎるのである。

 環境問題のそういった取り返しのつかなさを我々はしっかり認識しておかなければならない。そして、環境問題はそれが外部化してから対応したのでは手遅れなのである。環境問題は失敗から学べない。予防的にしっかり吟味して先手を打つ必要があるのはそういう理由によるのである。