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社会科学関係の書籍を紹介

橋本卓典『非産運用』(講談社現代新書)

 

捨てられる銀行2 非産運用 (講談社現代新書)

捨てられる銀行2 非産運用 (講談社現代新書)

  • 作者:橋本 卓典
  • 発売日: 2017/04/19
  • メディア: 新書
 

  金融庁長官による資産運用改革について述べた本。少子高齢化により、個人の金融資産を着実に増やしていく資産運用こそが成長産業である。だが、資産運用の現場では、銀行が自らの収益最大化のためだけに選んだおすすめ商品を売りつけるという事態が生じている。欧米に比べ日本では手数料獲得のための金融商品が多い。そうではなく、「フィデューシャリー・デューティー」(受託者責任)、真に顧客本位の業務運営が必要である。この基本原則により金融庁長官は改革を断行していく。

 私は投資の経験がなく、金融商品も買ったことがないのだが、確かに日本は貯蓄率が異様に高く、せっかくの資産を十分運用できていないと感じる。多少のリスクがあってもリターンがあったほうが好ましいには違いない。日本では資産運用に関する意識が立ち遅れていて、それが経済成長を鈍化させているとするならば、資産運用はぜひともやってみたいことの一つだ。だが、その現場においてはフィデューシャリー・デューティーが必須なことは言うまでもないだろう。私は銀行に「売られたい」わけではないのだ。手数料獲得のために顧客をないがしろにする銀行は淘汰されていくのであろう。

クリスティーン・ポラス『シンク・シビリティ』(東洋経済新報社)

 

  私は職場の若手にしばしば機会があるときに、「やられて嫌だったことは下の人間にやらず自分のところで止める。その代わりやってもらってうれしかったことは自分も下の人間にやる」ように話すことがある。よくない伝統は受け継がない。よい伝統だけ残すということだ。

 クリスティーン・ポラス『シンク・シビリティ』(東洋経済新報社)はこの辺りの事情を扱っている。同書は組織における礼節の大切さを語る。礼節とは笑顔を保つこと、他人を尊重すること、他人の話に耳を傾けることだ。礼節のある行動は他人のモチベーションを引き出し、また他人にも伝染し、組織全体の業績を上げる。逆に無礼な行動は他人の業績を阻害し、また他人にも伝染し、組織全体の業績を下げる。礼節のある職員を評価するシステムの構築や、無礼な職員を教育し、教育しても改善がないようだったら退職してもらうシステムの構築についても書かれている。いずれにせよ、同書はこれまでに蓄積された経営学の科学的知見を総動員して書かれている。

 確かに組織において出世する人間、エリートには礼節を大切にしている人が多い。反対に無礼な人は組織において出世することが少ない。これは私の知っている範囲でも観測できる。組織は一定の結果を出すために最大限効率を上げていくものであるから、効率を下げるような無礼な職員は組織にとって邪魔でしかないし、逆に効率を上げる礼節のある職員はぜひとも組織で活躍してほしい存在である。

 そして何よりも礼節・無礼はどちらも伝染しやすいという事実が重要だ。無礼な行為を受けると自らもつい無礼な行為に導かれてしまいがちだ。そこをぐっと押しとどめて無礼な行為には感染しない努力が必要だ。逆に礼節のある行為には進んで感染していく心構えが必要だ。繰り返すが、悪い伝統は受け継がず、良い伝統だけ残していくのである。

タナハシ・コーツ『僕の大統領は黒人だった』下(慶應義塾大学出版会)

 

  現代アメリカの黒人問題を鋭く訴えかけるタナハシ・コーツ。下巻ではまず、アメリカの投獄率が世界的に見ても高いことを問題視する。そして、投獄されるのは大部分が黒人なのである。投獄は黒人の家庭を破壊し、黒人男性の就職を困難にしている。また、実際にオバマと何度も会っている著者がオバマの生い立ちや政策、その異種混合的であることについても論じている。さらに、トランプ政権がいかに白人中心主義的であり黒人を排斥しているかについての論考もある。

 黒人の不品行は歴史的に形成されてきた面が多いと思われる。また、黒人の貧困が一層黒人を犯罪へと駆り立てるし、警察も黒人ばかりを検挙する。それが一層黒人の貧困や不品行を生むという悪循環が生じているのが現代アメリカだ。この悪循環を断ち切るために、黒人への啓蒙活動など様々な政策が必要なはずであり、ただ投獄すれば済む問題ではない。また、著者のオバマに対する非常に複雑な感情が垣間見えて面白い。手放しで喜べないが、それでも喜ばしい黒人大統領の誕生。これについてはさらなる論考を待ちたい。

本田由紀他『「ニート」って言うな!』(光文社新書)

 

  ニートバッシングに対して反論している本。そもそもニートのとらえ方が間違っているし、ニートを社会のスケープゴートにしているし、ニートの問題を心理的なものとして社会制度などの問題をなおざりにしている、などの反論。

 「ニート」としてカウントされている人の中には、働く意欲がない「非希望型」と働きたいけどとりあえず働いていない「非求職型」がいる。ニートとして問題視される非希望型は昔からそんなに増えていない。むしろ増えているのは非求職型であり、これらの若者は進学・留学準備中、資格取得準備中、家業手伝い、療養中、趣味・娯楽、結婚準備中、介護・育児、芸術・芸能のプロを目指して準備中など様々に活動している。非希望型のニートは増えていないので、働く意欲のない人は決して増えていない。個々人の生き方の多様化が進み、様々な活動をするためとりあえず働いていない人が増えているだけなのだ(本田由紀)。

 青少年ネガティブキャンペーンは今に始まったことではなく、ニートキャンペーンの前にはパラサイト・シングル、ひきこもりへのバッシングがあった。ニートキャンペーンはこれらの憎悪のキャンペーンを利用して行われたものである。年長者は何らかの不全感を抱いている。自己の不全感を他者に投影して他者を悪者に仕立て上げることで安心するという構造がある。そして、悪者に仕立て上げた他者を「教育」の名のもとに操作することでさらに安心できる。自分が理解できない不透明で多様な存在を、ありのまま認めるのではなく何とかして排除するか教育するかしないと気が済まない。そういった心理的機構が青少年ネガティブキャンペーンの背後にはある(内藤朝雄)。

 ニートというと良いイメージを抱く人はほとんどいないはずである。ニートを軽蔑している人は多いだろう。だが実態として、ニート=働く意欲のない人ではなく、ニートは多種多様な活動をしている人を含んでいる。それよりもフリーターの増加のほうが問題であり、何らかの社会政策的な解決が求められている。また、ニートがそのように社会のスケープゴートとして消費されてしまっている現実には忸怩たる思いがある。青少年を社会にとって異質なものとして憎悪の対象とするのは端的に正義に反することであろう。ニートキャンペーンは確かに問題の多いものであった。