社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)

 

 ノンフィクション・エンターテインメント。昆虫学で博士号を取った著者が、自らの研究生命を保つためにアフリカへ旅立ち現地で奮闘する物語。一見するとアフリカの冒険譚のようにも思える。だが、これは第一次的には現代日本社会の冒険譚なのだと思う。特にポスドクが日本社会を生き抜いていく冒険譚。日本では高学歴ワーキングプアがたくさん存在し、博士号をとっても食っていけない人間は多数いる。そんな中で地図も道もない荒野を、情報収集能力とチャレンジ精神で切り抜けていくのが本書のストーリーである。具体的には、研究費をもらえるポストを得るために限られた期間で成果を出していくという冒険譚である。アフリカ行はこのポスドク冒険譚の一部に過ぎない。

 本書はかなり分野横断的であり、昆虫学の知見が出てくると思えばアフリカ滞在記とも読める。また日本におけるポスドクの苦境を訴える書物ともなっているし、そんな状況の中で果敢に生き残った著者の成功の物語でもある。多様な読みができる上、ユーモアに富んでいてぐいぐい読ませる優れた書物だ。新書大賞、うなずける。

河野英太郎『社会人10年目の壁を乗り越える仕事のコツ』(ディスカヴァー)

 

 若手でもベテランでもない、中堅職員としての10年目職員に向けたティップス。10年目職員の悩みに一つ一つ応えていくという一問一答形式をとっている。全体としては、そのように悩んでいるのは仕事が俯瞰できるようになった成長のあかしだが、評価とか他者の成功などは気にせず目の前の仕事をコツコツと地道にこなしたゆまぬスキルアップに勤しみ、やりたいことはやりたいとアピール、成長が望めないような組織であれば転職、そんな感じのことが書いてある。

 私なども社会人約10年目なので、問いとして出てくる悩みにも思い当たる節があり、回答を楽しく読ませていただいた。目から鱗というわけでもないが、原点に帰れ、愚直に頑張れ、結果は後からついてくる、そういう励ましを受けたようでとても励みになった。この手のビジネス書もたまに自分を振り返るために読むのに役に立つ。

青木栄一『文部科学省』(中公新書)

 

 文部科学省の実態に迫った本。文部科学省は背後にいる官邸、政治家、他省庁、財界からの圧力に弱く、他方で教育界や国立大学には強い立場にある。外に弱く内に強いのが文部科学省である。だから外圧により「間接統治」され、そして内部には強いため外界の要望が教育界で実現されようとする。教育分野の市場開放、企業への外部委託などによる改革は財界や政治家からの圧力である。文部科学省はもっと財源を要求し、教育にお金をかけることが求められる。また、人員確保の必要性についても、もっと社会にアピールすべきだ。そして政治から逃げず戦うことが求められる。

 本書は文部科学省の構成や来歴、そこでの官僚の立ち位置などについて述べた後、教育改革の挫折などの問題点に踏み込んでいる。確かに、「ゆとり教育」の失敗、「高大接続」の挫折など、文部科学省は失態を繰り返している。その原因としては本書にあるように文部科学省が財界などから翻弄されているという現実があると思う。文部科学省は受動的なのだ。確かに霞が関最小規模でマンパワーが少ないのかもしれない。だが、もっと強気に政府にも外界にも自らの立ち位置を主張していくことが必要だ。それが結局より良い教育につながっていくのではないだろうか。

明るく出る、明るくかける

 今の部署で勤務していて学んだことは多岐にわたるが、その中で最もシンプルかつ最も重要なことは電話の出方である。今の部署では客から電話がかかってくることが結構多い。それも、良い内容よりは悪い内容の方が多い。クレームもしばしばある。だから、電話がかかってきたらとにかく明るく物柔らかに対応するように心がけている。つまり、「私はあなたを尊重しているし、あなたを歓迎している」というメッセージを言外で送るのである。そうすると、電話の流れが結構変わってくる。下手をするとクレームに発展しそうな電話でも第一印象をよくすることによりクレームに至らなかったりするものである。逆に電話に暗く出て第一印象を悪くすると、大した内容でなくてもクレームに発展してしまいかねない。

 客からかかってくる電話というのはその場一回限りであることが多い。つまり一回勝負である。その時一番重要なのは第一印象をよくすることだ。はっきり言って相手のこちらのイメージは第一印象しか存在しない。その第一印象を良くし、客が自分が尊ばれていることを感じると、客も話をあまり悪い方向にはもっていかないものである。

 同じことは電話をかけるときにも言える。特に関係機関などに頼みごとをするときに必要なのが、明るく物柔らかに電話をかけるというスキルだ。頼みづらいことであっても、こちらの印象を良くすることにより相手がやってくれるように誘導することが可能だ。仕事をスムーズに進めるためにも電話を明るくかけて「あなたを尊重しあなたに好意を持っている」という言外のメッセージを伝えることが大事だ。

 電話をする際、いちいち言葉で「私はあなたを尊重している」などという機会はない。だが、電話をする際の声の表情で「私はあなたを尊重している」というメッセージを送ることは可能だ。その声の表情により、相手は気分を良くし、電話の内容が良い方向に運んでいくのである。電話は明るく出る、電話は明るくかける。

育児のつらさの正体

 わが子は生後8か月でもうすぐ9カ月になる。私もまた父親として育児に携わったが、育児はなかなかつらいものである。抱っこしたり世話をしたりという介護労働的なつらさは確かにある。だがそれは労働としてのつらさである。睡眠不足になったり時間が自由に取れなかったりというのも労働としてのつらさである。だが、育児の本当のつらさは別のところにあるのではないだろうか。

 赤ちゃんというのは絶えず世話をし気にかけていないと命を失ってしまいかねないもろい存在である。このもろい存在の命を引き受けるということ。その責任の重さこそが育児のつらさの正体ではないだろうか。同じ育児であっても、他人から預かった子供であったらそこまで重い責任は生じない。何らかの事故で死んでしまってもそれは他人の子供の死でしかないからだ。だが、自らの子供が死ぬとなるとただ事ではない。妻が大変な思いをして産んだ子ども、私が繊細に気にかけてきた子ども、私たちの遺伝子を受け継ぐ子ども、私たちとともに一つの家族を構成する子どもである。それだけ非常にかけがえのない子供を失うということに私たちは耐えることができない。だからこそ、赤ちゃんの命のケアには細心の注意を払うし重大な責任が生じるのである。

 子どもの世話は多岐に及ぶ。服を着せたり、爪を切ったり、お風呂に入れたり、おむつを替えたり、遊んでやったり、抱っこしたり、授乳したり、散歩に連れて行ったり、寝かしつけたり。だがこれらの労働的な側面はすべてたった一つの価値へと収斂する。その唯一の価値が子どもの命の維持なのである。育児は水平的には介護労働として進展していくが、垂直的には子どもの命の維持という価値と責任に突き刺さっている。この垂直で重い突き刺さりこそが育児のつらさの正体だ。