社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

上野正道『ジョン・デューイ』(岩波新書)

 

 プラグマティストで進歩主義思想家であるジョン・デューイの入門書。デューイは主体・客体などといった二元論を克服し、相互の信頼・正義に向けて多様な市民の権利と自由を保障し、開かれた多元的な社会の形成を意図した。また、デューイは子どもたちが批判的に思考し、表現し、対話する学びを取り入れ、家庭・地域・自然科学などに開かれ、アクティブな学びや探究的な学びをするような教育改革を提唱した。デューイは「コモン・マン」、つまり一般の人が世の中でよりよく生き、よりよく学ぶことでよりよい社会を作ることを目指していた。

 デューイの思想はかなり進歩主義的で先進的である。現代、デューイが意図していたような教育がまさに実践されていることを考えれば、彼の先見の明は明らかであろう。その背景としてプラグマティズムがあったことは重要である。真理は可謬的であること、行為によって真理は変化していくこと、この意識はやはり重要ではないか。これは現代の教養論とも呼応するものがあり、ただ古典を読んでいればいいというのはもはや時代遅れで、もっと実践的な教養が求められている。偉大な思想家だったことがわかる。

牧野雅彦『ハンナ・アレント』(講談社現代新書)

 

 全体主義に対する思想的な抵抗の理論を唱えたハンナ・アレントの入門書。人間は行為によって無数の関係の網の目を作り出し、それが「共通世界」となる。共通世界は絶えず変化していくので、それを維持していくには行為の意味や意図を理解する「共通感覚」が必要である。だが、近代社会は他者から切り離され内面的にも解体された無数の人間を作り出した。互いに無関係・無関心の「大衆」は、よりどころがないため全体主義イデオロギーに容易に染まってしまう。全体主義に抗して「自由な運動」の空間を取り戻すには、「共通世界」を取り戻す必要がある。我々がともに見ている「事実」は確かに存在するという保証が「共通世界」のリアリティの基盤となり、全体主義の「虚構の世界」に抵抗する根拠となる。

 本書は短いながらも大変スリリングな思考が展開されており、読み応え抜群だった。今まであまり触れていなかったアレントだが、原典を読みたいと思った。全体主義はこの近代社会ではいつでも出現しうる。そのような危機感を常に抱いていないといけない。そして、全体主義に抗する世界観をきちんと持つということ。アレントは多くのことをその優れた思想により教えてくれそうだ。

斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』

 

 現代社会のフィールドワーク。『人新世の資本論』がベストセラーになった理論家の斎藤幸平が、現実に社会問題の現場に行き、現場を体験するというシリーズのエッセイである。

 「理論を実践する」ということはよく言われる。人間は理論が先行しがちだから、実際にそれを現場で実践するという流れである。だが、本書は「実践から理論を生み出す契機を作る」ということをやっているように思う。それは、単に実践から理論を帰納するということではなくて、実践で得られた生の体験というのは無限の細部に満ちているため、そこから様々なアイディアを導出しうるということである。斎藤は本書では、この体験からこんな理論が得られたみたいなことは書いていない。だが、彼が将来自らの理論をさらにアップデートしていく中で、こういう複雑な問題系が絡まっているところである現場での体験というものは、理論を創発する上でとても貴重なものとなるであろう。

佐々木実『宇沢弘文』(講談社現代新書)

 日本で一番ノーベル経済賞に近いと言われた宇沢弘文の思想と生涯。宇沢は数理経済学者として米国で名前をはせるも、ベトナム戦争に反対して日本に帰ってくる。日本に帰ってきてからは水俣病の悲惨さなどに心を痛め、環境への関心を高めていく。そんな中で提唱したのが「社会的共通資本」の思想であり、広い意味での「環境」を経済学の対象として扱う理論である。「社会的共通資本」は、①大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、②道路、交通機関上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラ、③教育、医療、司法などの制度からなっている。

 宇沢はれっきとした近代的個人だった。一般会社に就職したときは会社の不正を糾弾してくびになったり、ベトナム戦争に反対してアメリカでの地位を放棄したり、自らの思想をきちんと持ってそれに従って行動する人間だった。そして類まれなる知性を持ち、よりよい社会の形成を願っていた。私も『自動車の社会的費用』をかつて読んで感動した記憶がある。『社会的共通資本』は未読なので、さっそく読んでみたいと思った。「社会関係資本」と混同しがちですね。

 

辻仁成『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』(マガジンハウス)

 

 作家の辻仁成が、思春期の息子と暮らしたパリでの生活をつづったエッセイである。本書のキーワードは「じーん」と「かっちーん」である。息子の成長ぶりや何気ない一言に感動する一方で、息子の態度や遠慮のない発言に気分を害される。

 家族というのは特殊なコミュニティであり、単純に自由を犠牲にして安心を得るという中性的なコミュニティではない。家族というコミュニティにおける成員は限定的であり、かつ関係は感情的で濃密である。通常のコミュニティよりも深い安心感を得ると同時に、通常のコミュニティよりも成員間のぶつかり合いが多い。家族は濃密なコミュニティなのである。

 ましてや辻の家族は父子家庭で二人きりの家族だ。息子との関係は極めて濃密であり、当然感情的なぶつかり合いは多い。だからこその「じーん」と「かっちーん」なのである。私も子育ての途上、これから数限りない「じーん」と「かっちーん」があるのだろうなと予想できる。楽しく子供と成長していきたい。