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「ひかりごけ」問題

 武田泰淳の小説に「ひかりごけ」というものがある。私はこれが映画化されたのを観た。これは、厳寒の地に閉じ込められた船長と船員がいて、ひとりずつ船員が死んでいくのだが、船長は死んだ船員の肉を食べて生き残る、という筋のものだ。この船長が裁判にかけられるのだが、そこで、二つの問題が提示される。

(1)被害者でない裁判官に加害者が裁けるのか
(2)加害者でない裁判官に加害者が裁けるのか

 被害者が応報感情によって加害者を裁けるのは、その理論的根拠はあいまいだが古くから認められていることであって、それほど問題ではない。では、被害者の被害感情を共有していない裁判官は、なぜ被害者に代わって加害者を裁けるのか。裁判官に被害者の苦しみなどが分かるのか。

 同様に、裁判官は加害者の苦しみや迷いやその他諸々の心理的文学的態様を共有していない。船長がどれだけ苦しみどれだけ迷いながら人の肉を食べたのか裁判官に分かるはずがない。そんな裁判官に加害者が裁けるのか。

 つまり、当事者の心理(苦しみ、迷い、憎しみ、怒りなど)を裁判官は共有できないという原理的な問題があり、そのような心理的文学的次元から離れて客観的に法を適用することは倫理的に許されるのか、という問題がこの作品では提示されているのだ。

 これは刑事裁判制度の根幹にかかわる問題であり、納得のいく解決が必要だと思われるが、いまだに私は解答を見出せていない。