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存在しない人に対する義務

 刑法が国民に課する「他人に危害を加えてはならない」という義務は、国民の国に対する義務である。国民がこの義務に違反したとき、国家に対する義務違反だとみなされ、それに対する制裁が基礎づけられる。国家が制裁権を有する以上、「他人に危害を加えてはならない」という義務は第一次的には国家に対する義務だと考えなければならない。

 だが、この不作為義務を国民に有効に履行させるためには、国家はさらにその義務の内容を強化する必要がある。刑法が国民に課する義務は、第二次的には、他の国民に対する義務である。つまり、国民は他の国民に対して「危害を加えてはならない」という不作為義務を負うのである。要するに、国家は国民に対して、「他人に危害を加えない不作為義務を負うこと」をさらに義務付けているのである。他の国民に対する義務を、さらに国家に義務付けることで、危害を加えない不作為義務の有効性が強められる。

 さて、刑法は国民に対し、他の国民に対する義務も課していることが明らかになった。だが、この場合の「他の国民」とはどの範囲を含むのだろうか。例えば、まだ生まれていない人や、もう死んだ人について、国民は不作為義務を負うのだろうか。確かに、罪を犯すことによる社会秩序の撹乱は、罪を犯した一秒後に生まれた赤ん坊に対しても不利益を及ぼすかもしれない。また、罪を犯すことによる社会秩序の撹乱は、過去に刑事制裁制度や社会秩序を維持してきた故人がせっかく作り上げたものに対する侵害だともみなすことができる。このような、存在しない人に対する義務違反は、刑法体系上どのように位置づけられるのだろうか。そもそも刑法は存在しない人に対する義務など考慮に入れているのだろうか。