社会科学読書ブログ

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 ある方が、twitterのプロフィールに、「なんだかんだでまた続けていけそうです」と書いていて、ちょっと苛立った。いや、でも多分あなたが正しい。苛立つのは僕が汚れているからです。もはや清浄なもの、純粋無垢なものをそのまま受理できなくなってしまっているのです。補正を求めて、補正がなされなかったら却下、という具合です。いやだって、NHKの朝ドラのヒロインみたいじゃないですか。周りの愛情にどっぷり甘えていて、でもちょっとだけ傷ついて、それでもけなげに生きていく、みたいな、まあ能天気なおじさん方が好きそうなセリフですねえ。

「もうだめだ打ちのめされた そこが僕の始まりだった」(ランクヘッド「前進/僕/戦場へ」より)

 こんな歌詞がありますけどね、僕はそれは違うんじゃないかと思うんです。本当に打ちのめされたときは端的に終わりなんです。始まりじゃないんですよ。始まりというのは、自分の弱さをものすごい苦痛とともに克服して、どす黒い復讐心とともになされるものです。僕の始まりは、うちのめされた、とかそんなもんじゃなかった。誰からも愛されない、誰からも手を差し伸べられない、神すら自分を見放した、あらゆる価値は信用できない、そういうところで、それでも死ぬことはできなくて、生きざるを得なかった、そして、生きるためには強くならなければいけなかった、悪をすら辞さなかった、そういうものでした。始まりというものは、懐疑と不信と絶望と悪とともになされるものです。僕の場合はそうだったということです。