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多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』(岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

 複製技術は、芸術作品の一回限りであるという歴史性(アウラ)を消滅させた。芸術には礼拝的価値と展示的価値があるが、現代の芸術は、儀式から自らを開放し、自然と人間との共同の遊戯や政治性を志向し始めた。だが、恋人の写真などにはいまだに礼拝的価値が残っている。複製技術においては、作品を作りかえることが可能になり、特に映画においては、モンタージュによって、超自然的な作品が可能になる。一方で、写真は自然の細部に入り込むことをも可能にした。映画の場合、役者は観客ではなく機械に対して演技するので、そこで人間疎外が起きる。一方で、疎外され閉じ込められた労働者たちは、役者の演技に人間性の発揮を見、映像の広大さに救われる。映画は人間と機械との釣り合いを生み出し、幻想や妄想を過剰生産することで、我々がそこへ向かっていく予防となる。そして、複製技術は大衆に触覚的に、くつろいだ受容を可能にしている。

 ベンヤミンの考察は、複製技術をめぐって多岐にわたっている。彼の小論は非常に密度が濃く、内容豊富で、様々な示唆に富んでいる。とりあえず、私は、アウラを伝統と結びつけることに違和感を感じていて、また、映画俳優が人間疎外されていくのを時代の趨勢と見て容認する向きの姿勢である。アウラは受容者の一回的体験にこそ生じるものであると考えるし、ここまで人間そのものが複製可能になっている以上、複製されることに耐える強さは現代人には必須だと考える。