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熊野純彦『レヴィナス入門』(ちくま新書)

レヴィナス入門 (ちくま新書)

レヴィナス入門 (ちくま新書)


 レヴィナスの思想に頻出する枠組みは、「遅延」という枠組みである。主体は「私の存在」に遅れているし、他者を経由して知らしめられる死にも遅れているし、他者からの呼びかけにも遅れている。だが、その遅延の意識は、遅延に先立つものの存在についての意識でもある。世界は目に先立って手について現れている。だがさらに、世界は手に先立って口について与えられている。

 世界は初源的に享受される糧としてある。だが、享受は世界に遅延することがある。食べ物が手に入らないこともあるだろう。その不確実さを克服し、その遅延を克服するために労働が必要である。だが、欲求―労働―満足は、結局主体が世界を<同>の中に閉じ込めているに過ぎない。

 ところが、享受できないもの、<同>の中に取り込めないものが主体には到来する。それが「他者」である。他者は無限で、同化できず、主体は他者を渇望することしかできない。他者は決して構成されず、ただ外から「到来」するのみである。そして、その他者との関わりが倫理なのである。

 ところで、他者はすでに私に対して呼びかけてしまっている。それについて、私は具体的に呼応する以前に無条件に承諾してしまっている。そして、この「諾」は無限にあり、それについて私は無限に責任を負う。

 ここまでが本書の紹介である。他者の問題とは社会の問題であり、他者が無限にとりつくせない、他者の呼びかけに無限に遅れてしまっている、という考え方は、常に社会を見渡す時に自戒として念頭に置かなければならない。だが、我々は他者をある程度世界の中に組み込み、同化しなければ生きていけない。それに、他者に対して責任ばかり感じても生きていけない。いわば、社会科学は、無限に汲みつくせない他者を、それでも仮構した在り方で汲み取っていくというジレンマにさらされているのではないか。