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蜂屋邦夫『老荘を読む』(講談社現代新書)

 

老荘を読む (講談社現代新書)

老荘を読む (講談社現代新書)

 

  老荘思想の平易な入門書。老子荘子も無私を強調したが、荘子が現実世界を超越する壮大さを志向したのに対し、老子はどこか処世術を述べているような世俗性を備えている。序列主義の強い中国で、老荘思想は、天地自然の立場から非序列主義を指摘するという解毒作用を果してきた。

 老子は「道」という無が天地万物を生み出すという宇宙論を展開する。道から万物が生まれ、「名」によって意味づけられるとき、初めて人間世界が成立する。そして、有名なる万物を無名なる世界に復帰させようとする。「聖人」は道にのっとり道を体現する。聖人に作為はなく自然でありながら、聖人は万物を統括する。儒家における聖人を批判し、素朴・寡欲・絶学の立場から政治を行おうとする。小国が理想の共同体であり、抵抗せず、平和を求め、平等を志向するのが正しい。

 荘子の思想においては、老子の思想のような宇宙論的傾向は影をひそめ、世俗世界からの解脱について多くを語っている。それが「斉物論」であり、忘我の境地で「天籟」を聴くことを主張した。天籟とはすべてのものの存在そのものを聴くことである。多様なものを多様なままそれと調和していくということである。そして、言葉は物事を相対化してしまうので、言葉を超越した絶対の立場に立たなければならない。個別と普遍を突き抜けた実在の世界へと飛翔するのだ。この観点からは、生死にはそれほど意味もなく、死にこだわるのはナンセンスということになる。

 老荘思想はとても興味深い。世俗の色々な物事に倦み疲れたとき、その疲労を思想的に正当化してくれるのが道の思想であり解脱の思想だ。人間の前進的な生き方に対応するというよりは後退的な生き方に対応するものであり、それでありながら後退的なところに真に前進的な意味を見出すものである。これはある種の怠慢と言われるかもしれない。現実と闘わなければならない人々にとって、空疎な言論と映るかもしれない。だが、現実と闘うにあたっても、現実のストレスを緩和しよりうまく相渡っていくためにこのような思想は却って有益ではないだろうか。