仏教聖典の全部を「一切経」「大蔵経」というが、そのうちブッダの教義を説いたものが「経」、教団の規律が「律」、哲学的理論が「論」である。仏陀は特定の教義を宣伝するよりは、相手の能力と教養に合わせて違った内容を説いた。特に出家修行者と在家修行者相手では違った趣意の説法を行った。聖典はブッダの教えをそのまま記録したものではなく後代に編集されたものである。だから、例えば小乗ではブッダはただ一人でも、大乗では誰でもブッダになりうる、などの経典間の齟齬が生じてくる。
経典間の齟齬で一番大きいのは大乗と小乗であり、大乗経典は様々な聴衆を予想し、瞑想の体験を具体的な継承で表現する。小乗経典はそれに対して出家信者を対象にし、協議を説明し解説するから理性的に理解できる。大乗は誰でも解脱してブッダになれると説き、そのためにボサツ行を実践する。現実界は現象であって有でも無でもないが、現実界こそ理想界である。小乗はブッダのみが解脱できるとし、現実界は虚無であるが故理想界だとした。
本書では、大乗経典の代表的なものとして、般若経、華厳経、維摩経、勝鬘経、法華経、浄土教経典、密教経典をあげている。それぞれに場面設定や物語、教えが織り込まれている。
本書は、仏教の教えを具体的に示すというよりは、仏教典がどのように成立して、どのような種類があり、どのような内容を持つかについて簡略にまとめたものである。仏陀の教えは初めは口承であったこと、しかもブッダ自身が相手に応じた教えを垂れていたことなど面白かった。経典を編む時点で異なる教えが生まれても一向に不思議ではない。それもまた仏教の寛容の精神の表れの一つなのかもしれない。