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ダイバーシティと危害原則

 ダイバーシティと危害原則は矛盾しないだろうか。多様な個性の存在を認め、不均質な集団から積極的な価値を作り出していくという多様性の主張は、場合によっては他人に危害を加える人間の個性のことも容認することになりはしないか。
 例えば、ある集落に意地悪ばあさんがいるとする。この意地悪ばあさんは孤独で不機嫌で近隣の住民たちに嫌がらせばかりする。近隣の住民たちはこの意地悪ばあさんのことを「これも個性だ」と言って許容できるだろうか。
 危害原則は、「他人に危害を加えない限り何をやってもいい」という原則であり、逆に言えば「他人に危害を加えることは禁止する」という原則なのである。このような原則は消極的なものであり、重要な利益を保護し、その禁止について多くの人の同意を得られるものである。だから、危害原則を守る優先順位は高いと言っていい。
 それに対してダイバーシティの原則は積極的な原則である。「多様な個人に対して寛容に向き合おう」という原則は、特に生命や財産といった基本的な利益を守るものでもないし、ダイバーシティについて多くの同意が得られるわけでもない。ダイバーシティの原則を守るべきか否かについてはこれからも議論が続けられていく、そういう性格のものである。だから、ダイバーシティの原則を守る優先順位は低い。
 さて、意地悪ばあさんの例に戻ろう。他人の軒先に生ごみを捨てるなどの嫌がらせを繰り返す意地悪ばあさんを「それも個性だ」と許せるだろうか。もちろん、嫌がらせの程度にも依る。だが、他人に明確な嫌悪感と恐怖感を与え他人の居住空間という基本的な利益を損なう意地悪ばあさんは他人に明白に危害を加え、危害原則に抵触する。そして、このような意地悪ばあさんの個性を認めようという主張に対しては同意を得ることが難しく、仮に意地悪ばあさんの個性を認めたところで得られる利益は小さい。だから、この場合敢えて意地悪ばあさんを許容する必要はないのである。
 危害原則とダイバーシティが競合した場合、より優先されるのは危害原則の方である。他人に危害を加える人間の個性を認める必要はないのである。