日本人とキリスト教のかかわりについて論じた哲学的断章。
①日本人とキリスト教
日本人はキリスト教受容に壁を持っている。そのような日本人の超越者へのアプローチの仕方としては、神を高さにおいてではなく「生の中心における深み」において見出す。すべての存在の根底、我々の人格的生の深み、我々の社会的、歴史的存在の源に神を見出す。
②正統と異端の間
正統と可能性としての異端との緊張関係の中間に思想的に身を置き、それを底辺としたもう一つの極(非キリスト教文化・社会の領域)に自らの問題意識を問い詰めていく、それが「正統と異端の間」であり、この位置からキリスト教についての創造的な思想が生まれる。
③木下順二のドラマにおける原罪意識
木下順二は、ヨーロッパにおいて絶対者の下で可能となる原罪意識、それが日本にもなくてはならないと考え、絶対者がいない日本においても民族的原罪意識を民族の真の連帯の基礎として、どらまの厳粛な通奏低音として繰り返す。
本書はキリスト教哲学の立場から日本におけるキリスト教受容の孕む問題を主題化し、それらについて哲学的に論評した刺激的な本である。「背教者」をテーマとしているようなタイトルだが、それよりは正統とは違った仕方で絶対者へと近づく方途を探っている日本人のキリスト教受容について語っている。非常にクレバーでスリリングな評論である。