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ユーモアについて

 エッセイをたくさん読んでいると、ユーモアにもさまざまな種類があるということが分かってくる。ここではユーモアを防衛機制的ユーモア、創作的ユーモア、潜在的ユーモアに分類し、それぞれ解説していこう。
 防衛機制的ユーモアは、人生の悲惨さを面白おかしく笑い飛ばす類のユーモアである。さくらももこのエッセイに顕著である。悲惨な出来事に自らが傷つく前にそれを笑いに変えて傷つかないようにする。あるいは悲惨な出来事に傷ついた自分を癒すために出来事を笑い話にする。
 創作的ユーモアは、事実でなくてもよいから積極的に面白い話を作り出そうとするユーモアである。穂村弘のエッセイに見られるし、お笑いのネタなどもこの類のユーモアである。これはレトリックや技巧としての笑いであり、発話を装飾する笑いである。一部の現代詩などにもみられ、奇妙なユーモアを独創的に作り出すことでテクストの魅力を増そうとする。
 潜在的ユーモアは、日常生活に潜むちょっとしたおかしさを拾い上げてくるユーモアである。日常生活にはユーモアが潜在しており、それを改めて日の下にさらす類のユーモアである。川上弘美などのエッセイに見られる。このユーモアは割と語り手の感受性に依存する。語り手が日常生活の面白い部分にどれだけ鋭敏に反応しているかが潜在的ユーモアの発現には影響する。
 ユーモアを便宜上3つのタイプに分けてみたが、もちろん相互に重複することはよくある。悲惨な出来事は日常に潜在するおかしな出来事だったりする。ユーモアを創作するときには、悲惨な出来事だったり日常生活に潜んでいそうだったりするユーモアを創作することもある。そもそもユーモアはすべて何らかの意味で防衛機制であろう。
 エッセイにユーモアが多いのは、いちばんは防衛機制によるものだと思う。書き手は自らの体験を語るのに、ユーモラスに語ろうとする。それは自らを愛すべき対象として構築すると同時に、自らの経験から毒を抜こうとする営みであり、人生を愛するための手段である。ひっきょう、ユーモアとは人生を愛するための手段かもしれない。