戦前の家制度は戦後解体され、家族は夫婦を基本単位として再構成された。だが、農村では家制度の名残がいつまでも残り続けた。例えば、農業を家業として考え、家を発展させるために家業を多くの人に担ってもらうという考え。家業であるから長男が土地と共にそれを継ぎ、農業を繁栄させることによって家を繁栄させていく。家業であるから農業を誰も継がないということは家がそこで途絶えるということであり、それは避けるべきことだと考えられた。
並木正吉『農村は変わる』は、戦後間もないころの統計を用い、戦後間もないころにすでに経済と社会の近代化に伴い、農村の家制度が衰退し、農村から賃労働へと人が移動していて農業後継者が減少していることを示している。これは、農家の子供たちが家業を継がなくなったことを意味する。それは、従来の家の縛りが緩くなり、職業間の移動が活発になったことを示している。
家制度は社会の構成単位を個人というよりは家としてとらえ、個人の自己実現よりも家としての繁栄を重視する。だから、農村では能力がありながらも農家の長男であるという理由で農業を継がざるを得ないケースが後を絶たなかった。社会全体としては、能力のある人間はその能力に従い難度の高い職業に就く適材適所が好ましいのであり、それを妨げる家制度は社会全体の効率性を阻害するものである。
家制度の残滓は今でも見ることができ、例えば結婚式を両人ではなく両家の結婚式として考えたり、一人娘には婿を迎えて家の姓を絶やさないようにしたり、日本人の思考様式にしっかりと組み込まれているようである。だが、家制度の地滑りは戦後間もないころにすでに始まっており、現代はもうほとんど廃れている。人々は家よりも個人の方を大事にし、個人の自己実現を最大の価値として認めている。家対個人という対立は根深いものがある。