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理論を実践することは可能か

 先日恩師と話す機会があり、その中で「お前ももう40になるんだから理論を実践することを考えろ」という話題が上がった。だが、理論を実践することはそれほど簡単だろうか。それは理論を実践する場によって異なると思われる。

 例えば健康法の理論があり、それを個人で実践する場合には何の問題も生じない。例えば代謝を上げるために筋トレをする、それを個人的に実行している分には何の問題も生じない。だが、社会についての理論はどうだろうか。例えば共産主義体制を実現するために革命を起こすという極端な例を考えると、あまりにも多くの人たちを巻き込むためにそもそも実現が困難であるし、多くの人たちを困惑させるだろう。

 私が今念頭に置いているのは、仕事についての理論である。こう働けばいいのではないか、そんな理論が世の中にはあふれていて、中には信頼できる学者の書いた優れた理論もある。そういう理論についてはぜひとも実践して自らの業務効率を上げたいものである。だが、職場という場で特定の理論に基づいた働き方をすることは、職場の人間を多少なりとも巻き込むため、実践が幾分厄介である。

 例えば、どんな相手でも尊重する、いつも笑顔を絶やさない、抑圧的な態度を取らない、そういう実践は比較的軋轢を生まない。これについて職場という世間は特に口をさしはさまない。だが、朝残業して定時に帰るという実践はどうだろうか。朝は仕事の効率が上がるし、定時以降は家族との時間を大事にする必要がある。私は実際にこれを実践していて、自分が朝型であること、また現在育児中であることもあり、毎日朝残業して定時には上がるようにしている。

 だが、こういう働き方に関する理論の実践はいくぶん軋轢を生む。なぜなら、私の職場という世間では朝始業近くに出勤して夜残業することのほうが一般的であるからだ。一般的でない働き方をしていると非難の対象になったり、排除されたり悪口を言われたりする。そのリスクを取ってまで理論を実践すべきだろうか。

 だが、私の働き方は特に誰かに迷惑をかけているわけでもない。違法でもないし、契約内容は履行している。ただ職場という世間からは浮いてしまうというだけだ。だが、私はそのような働き方をしているからこそ、短時間でそれなりの業務をこなすことが可能になっている。実践は効果を生んでいるのである。

 結局、理論の実践は場を選ぶ。個人的に個人の場で行う場合は一向にかまわない。だが個人的にであれ世間という場で行うのは、世間の一般慣習と抵触するために周囲から冷たい目で見られることがある。だが、そのような世間の同調圧力に屈しているようでは何事もなしえないのではないか。さらに他人を巻き込む理論の実践においては他人を説得する必要も生じてくるため難易度が高い。同調圧力などに負けているようでは他人を巻き込む理論の実践などできるはずもないのだ。

 まずは強靭な信念を持つということ。そして個人として確立してあるということ。個人として確立するために自分なりの物の考え方をしっかり持つこと。この理論に基づく強靭な個人主義が理論の実践のためには必要なのである。周囲の同調圧力に屈しないあえて空気を読まない生き方をしていかないと、よりよい生き方は実現できない。世間の目ばかり気にしているようでは何事もなしえないのである。