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リサーチペーパー「詐欺罪における動機の競合の因果的処理」

1.序論
2.心理的因果性
2.1.条件関係公式と法則
2.2.心理的因果性の特殊性
2.3.心理的因果性の判断方法
3.詐欺罪における動機の競合
3.1.実行行為者の関与の態様
3.2.動機の競合の類型
3.3.動機の競合の因果的処理
4.結論


1.序論

 ひとつの事象を引き起こす条件は、通常単一ではなく複数あり、それら複数の条件は等価的に結果を引き起こす。競合する条件の中から単一の「原因」を規範的に取り出し、それのみから結果が発生したと考えるのは因果関係の過度の単純化であり妥当でない。例えば殺人者に対してAが銃を与えBが弾を与えた場合、Aの行為とBの行為と殺人者の行為が合わさることで初めて殺人の結果が生じるのであり、それぞれの行為は等価的な条件であり、そのなかから唯一の「原因」を取り出すことはできない。
 詐欺罪において、実行行為者の欺罔行為により被欺罔者の錯誤が生じそこから被欺罔者が交付行為をして財産上の損害を受ける、という因果経過においても事情は同じである。特に問題となるのは、被欺罔者の錯誤と交付行為の間の因果関係である(注1)。交付行為という結果を引き起こす条件は錯誤だけとは限らない。例えば乞食詐欺の事例で、乞食が施しを受けるために被害者に嘘を言い、被害者はそれを信じたけれども、被害者の交付行為はその錯誤だけではなく乞食から早く逃れたいという動機からも導かれたということも考えられる。この場合、交付行為という結果の条件となっているのは欺罔行為により導かれた錯誤だけではなく、乞食から早く逃れたいという欲求も条件となっている。
 詐欺罪において、交付行為を導く動機が錯誤以外にも存在し、錯誤とそれ以外の動機が競合して交付行為という結果を導いたとき、詐欺罪は既遂とすべきか、それとも未遂とすべきか。本稿はこの問題について解答を与えるものである。錯誤と交付行為の間に因果関係を認めることができれば、詐欺罪は既遂になる可能性がある。一方で、錯誤と交付行為の間に因果関係がなければ、詐欺罪は未遂となる。よって、詐欺罪の既遂/未遂を判断するにあたっては、錯誤と交付行為の間の因果関係の存否を確定しなければならない。
 ところで、因果関係の存否は、通常、条件と結果の間に条件関係が成立することを前提に、その条件関係が広義・狭義の相当性を満たすかどうかで判断される。錯誤と交付行為の間の因果関係は人間の心理内部の因果関係であるので、上で述べたような判断方法がそのまま適用されるかどうかが問題となる。というのも、人間心理の法則は外界の物理的事象の法則よりもはるかに複雑であり、法則的知識を要求する条件関係の認定が容易でないと思われるからである。さらに、人間には自由意思があるし、また人間心理の秘私性から、そもそも原因・結果という物理的な把握自体に問題があるとも思われる。
 ところが、この問題に関しては従来十分に論じられてこなかった。団藤博士は、「第一に、およそ因果関係があるといえるためには、その根底において、当の実行行為がなかったならば当の結果は生じなかったであろうという条件関係が必要である。(注2)」として、特に物理的因果性と心理的因果性を区別せず、条件関係の心理領域の適用について特段疑問を示さなかったかのように思える。だが、心理領域における法則判断は困難であり、条件関係とは別の帰責原理が具体的妥当性を持つ可能性はあるので、心理領域において条件関係公式が使えるかを吟味する必要がある。本稿ではまず、詐欺罪における因果関係を認定する前提として、人間心理における事象継起のつながりについて条件関係公式が適用できるか、またどのような相当性判断をすればよいかについて論じる。
 心理的因果性についての立場を明らかにしたうえで、次に、詐欺罪における動機の競合にはどのような類型があるかを明らかにする。その際、欺罔者の関与の態様を分類し、錯誤という動機が交付行為という結果を惹き起こす態様を明らかにすると同時に、錯誤と競合する動機のあり方や錯誤との関係・結果を惹き起こす態様を分類し、錯誤と他の動機が相関しながら結果を惹き起こす態様を分類する。そして、それぞれの類型について、錯誤と交付行為の間に因果関係があるかどうかを吟味する。


2.心理的因果性

2.1.条件関係公式と法則

 条件関係公式には、(1)仮定的条件公式と(2)合法則的条件公式がある。仮定的条件公式とは、「それを取り去って考えると、具体的形態における結果が欠落せずにはいない、その行為(注3)」というものであり、合法則的条件公式とは、「結果が(外界)変化の連鎖を通して行為と法則的に結合しているとき、行為は結果の原因である(注4)」というものである。
 合法則的条件公式の成否の判断に法則的知識が必要なのは明らかだが、仮定的条件公式の成否の判断にも法則的知識が必要である。PとQの間に仮定的条件公式が成立するかどうかを判断するとき、我々は、Pという事情を仮定的に消去して、P以外の他の状況から、法則に照らしてQは生じないかどうかを判断するのである。(ちなみに「法則」とは最広義の自然法則である。)

2.2.心理的因果性の特殊性

 ところが、心理領域について法則を確定することは困難である。林幹人教授は、その理由として、(1)心理領域における刺激と反応のメカニズムには余りにも多くの因子が関与していること、(2)心理領域の場合すべての因果経過は客観的に観察不能であること、それらの理由から、(3)心理領域について事後的に状況を再現することで実験により法則を確定することが困難であることを挙げている(注5)。
 また、条件関係公式が心理領域に適用されることに対する疑問として、(1)人間の行為遂行の合法則性は刑法学が想定している「自由意思の要請」と整合しないこと、(2)心理学者の間で心理法則についてコンセンサスができておらず裁判で立ち返るべき基本的合意ができていないこと、(3)裁判において行われるのは経験科学的基準を満たす測定ではなく当事者への質問に基づく理解プロセスであること、などが提示されている(注6)。
 一方で、エンギッシュは次のように述べる:「教唆や心理的幇助においては、行為者が正犯者に犯罪的決意を作り出すことにより、正犯者の精神生活に作用する。その作用は自己知覚の方法で正犯者自身に、感情移入や了解によって局外者に認識可能になるように思われる。そのかぎりで、『形而上学』的作用概念が許され、合法則的条件定式が排除されるように思われる。しかし、合法則的条件定式はやはり真である。何故なら、少なくとも決定論の立場から教唆者や幇助者の態度と正犯者における心理的経過との間に、人は合法則関連を主張することができる。『感情移入』や『了解』が一般に可能なのは、何れにせよ素質のある(容易に影響を受け易い、貪欲な、臆病な、発動性のある等々)人間において、一般的に又は平均的に、特別の心理的作用態様を通常認めることができる場合である。事実、裁判官は『感情移入』なしに、経験によって得られた心理学的法則に基づいて、精神的作用連関を認めている。(注7)」つまり、心理領域についても法則の成立を認め、実際に裁判官は合法則的条件公式に則った精神的作用連関の認定をしている。
 また、ハート・オノレは、「法における因果性」(1959年)において、人相互の交渉(interpersonal transaction、ある人への動機付けという観念を含む)の因果性を認める。だが、心理的因果性は物理的因果性とは異なり、そこでは一般命題(法則)は事実的には成立せず、ある人がある理由で行為したか否かについては行為者の陳述が特別に重要である。だが、一般命題は、ある人がある理由で行為したと陳述したとき、それが彼にふさわしくないとか、誰もそんな理由で行為しないから彼は真実を語っていないことの証拠として使われることはある。行為者の陳述を確証したりそれに疑いを提起するために法則は用いられる、とする。

2.3.心理的因果性の判断方法

 では、心理領域において条件関係公式を使うことができるのだろうか。私は使えると考える。なぜなら、そもそも条件関係公式は法則の厳密さや詳細さを完全には要求していないからである。
 まず、条件関係公式の予定する結果の具体性の程度について述べる。結果の具体性の程度については、(1)結果を完全に具体化する説、(2)構成要件に無関係な要素を捨象した上で、構成要件に関係のある要素についてのみ結果を完全に具体化する説(注8)、(3)構成要件に無関係な要素を捨象し、さらに構成要件に関係のある要素については刑法上の関心が及ぶ限度で具体化する説(注9)、がある。
 (1)説によると、条件関係は広く肯定される。Aが花瓶を床に落として割ったとき、花瓶に絵付けをした陶工Bの行為がなければ色つきの陶器片が床に散乱することはなかったのだから、Bの行為も具体的結果の条件となる(花瓶事例)。だが、仮定的条件公式の趣旨が、義務違反がなければ結果は回避され法益が保護されたであろうことを示すことで、義務の遵守が法益の保護に有効であることを示し、一般人の義務を遵守しようとする動機を高めることにあるとすると(注10)、そもそも義務の違反でも何でもない陶工Bの絵付けについて、結果に対する条件関係を肯定するのは仮定的条件関係公式の趣旨に反する。また、この説によると、Bの絵付けと花瓶の毀損との間には合法則的条件関係も成立する。だが、合法則的条件公式の趣旨を、人間が法則性を用いて外界を支配することに着目し、その可能性を現実に行使したことを根拠に責を問うことにあるとすると(注11)、花瓶に絵付けをすることで花瓶を毀損することは人間の利用可能な法則性ではないのでBに責を問うことはできず、条件関係を認めることは合法則的条件公式の趣旨に反する。
 以上より(1)説は妥当でない。(2)説も、花瓶事例において花瓶の毀損の完全に具体的な事実状態を結果と観念するから、陶工の絵付けによる絵の具の厚みによって破片の散乱の仕方が変わっただけで陶工の絵付けと結果の間に条件関係を肯定することになり、妥当でない。よって、(3)説が妥当である。
 (3)説によると、?条件関係の認定というものは、前-法的で完全に事実的なものではなく、刑法的関心の範囲の抽象性でなされる規範的判断ということになる。また、(3)説とは関係ないが、?物理領域に関してさえも、人間は刑法的に重要な事実を完全に認識することはできず、また条件から結果にいたる因果経過を支配する法則を完全に知ることはできない。例えば、AがBに対して発射し、弾丸が風で曲がってそれがBに当たり、Bが死んだ場合を考える。そのときの風の強さ(風速○m、風向など)や風がどのように弾丸の軌道に影響を与えるか(流体力学の法則など)について、裁判官は完全な認識をするわけではなく、「発射行為」「東風」「胸部を撃たれて死亡」といった抽象化された事実の間で、完全に厳密ではない経験法則に基づき因果関係を認定するのである。
 以上から、私はエンギッシュのように、心理領域についても条件関係公式の適用を認める見解が妥当であると考える。心理領域で条件関係公式を適用することに対する、心理領域で法則を確定することが困難であるという批判は、その法則に厳密性を要求することを前提としていた。だが、条件関係公式はそもそも完全に厳密な法則を要求しておらず、刑法的に関心のある因果関係を規範的かつ抽象的に認定するものである。心理領域における法則確定の困難さは物理領域のそれに比べて量的に程度が高いというに過ぎず、物理領域と心理領域に、因果法則の適用にあたって質的な違いはない。心理領域には自由意思があると主張されるかもしれないが、そもそも自由意思の存在は証明されておらず、自由意思はあるともないとも言えない。よって、詐欺罪において動機が競合する場合の因果的処理として、私は条件関係公式を使おうと思う。
 では、条件関係公式として仮定的条件公式と合法則的条件公式のいずれを使用するのが適当か。まず、(1)両公式の趣旨を上記のように考えた場合、仮定的条件公式のほうが一般予防の観点からより有効である。利用可能な法則を現実に利用して犯罪を実現することを抑止するよりも、義務を遵守していれば結果が発生しなかったということを示したほうが、国民の義務遵守のインセンティブにつながりやすい。また、(2)法益侵害結果が発生した場合、因果関係を判断する者は、結果と合法則的に結合するとおぼしき原因らしきものを挙げたてて、それらと犯罪結果の間に本当に因果関係があるかどうかを判断する。因果関係を判断する者が原因の候補として思いつくものは、たいていの場合結果と合法則的結合関係にある。それゆえ合法則的条件公式によると、原因の候補と法益侵害の結果には多くの場合条件関係が認められてしまい、合法則的条件公式には条件を限定する機能に乏しい。以上から、本稿では仮定的条件公式を条件関係判断の道具として使用しようと思う。仮定的条件公式については、仮定的因果経過や択一的競合において不合理な結論が導かれるとの批判があるが、実際に不合理な結果を生じる事態が出来するのはまれであり、結果の適度な具体化や重畳的因果関係との整合性を求めることによって大概の問題は解決できる。そもそも仮定的条件公式は規範的な判断枠組なのであるから、多少の修正を施しても結果の妥当性が確保されればそれでよいと考える。
 次に相当性判断をどうするかだが、行為時に一般人に認識可能な事情と行為者が特に認識していた事情を判断資料として相当性を判断する折衷説が妥当である。なぜなら、(1)刑法は一般人に呼びかけて法益の保護を守ろうとしているのだから、一般人の認識不可能な事情を考慮して帰責するのは、一般人の行動を不当に萎縮させるため妥当でない。また(2)一般人が知り得なくても行為者が特に知っているものについては、それを知りながら行為を行っている以上帰責を及ぼしてもかまわない。さらに(3)条件関係の認定においてさえも合義務的行為の呼びかけや帰責の相当性などの規範的要素を考慮していた本稿の立場からすると、相当性判断もまた事実的なものではなく帰責の相当性を意図した規範的なものとするのが一貫しているからである。


3.詐欺罪における動機の競合

3.1.実行行為者の関与の態様

 詐欺罪は、被欺罔者の心理に働きかけ、被欺罔者に行為させることで成立する犯罪である。「ある者の心理に働きかけその者の行為に何らかの寄与をし犯罪を実現する」という意味では、詐欺罪は間接正犯、教唆犯、心理的幇助と同じ因果経過の構造を有する。ただ違うのは、詐欺罪における被欺罔者の交付行為はそれ自体独立して構成要件該当行為ではないが、間接正犯等においては、働きかけられた者の行為はそれ自体独立して構成要件該当行為であるということだ。よって、詐欺罪における欺罔者の関与の態様を、間接正犯等になぞらえて分類することができる。
 まず、(1)間接正犯型。正犯と共犯の区別を客観的な実行行為性の有無で判断する立場からは、間接正犯の正犯性は、その実行行為性、つまり構成要件実現の現実的危険性により説明される。一方で、正犯を、犯罪結果を故意的に実現した者として結果を第一次的に帰属されるべき主体と考える立場からは、間接正犯の正犯性は、結果の発生に対して行為支配を有することから説明される。
 ハート・オノレは詐欺罪を動機提供型の正犯形態としての間接正犯型(causing others to do / inducing another to do harm)に含めた(注12)。だが、一般の間接正犯の介入行為者の行為について「全く有意的でない(not wholly voluntary)」としているのに対し、詐欺罪については「完全な意味で有意的でない(not voluntary in the full sense)」としている。つまり、詐欺罪を間接正犯型に含めながらも、ある程度有意性を認め、教唆犯型に近づけている。詐欺罪は間接正犯型にも教唆犯型にもなる可能性があるのではないか。
 思うに、間接正犯と教唆犯の区別は、介入行為者の他行為可能性の大小で決すべきである。なぜなら、介入行為者の他行為可能性が小さいとき、第一行為者の思惑通りに結果が生じる可能性が高く、そのとき第一行為者が結果にいたる因果経過を支配しているといえ、また、結果発生の危険性も高いから間接正犯とすることができるからである。それに対して、介入行為者の他行為可能性が大きいときには、結果発生の可能性は小さく、支配性も危険性も小さいので教唆犯が成立するに過ぎない。
 例えば、あるコレクターBがある美術品を非常に欲しがっているとする。その情を知ったAが、Bに対して、売る気もないのにその美術品を売るともちかけ、Bはその美術品が手に入ると誤信し、Aに金員を交付した。そのとき、その美術品を非常に欲しがっているBは、それを売ってくれると持ち掛けられれば、それが信用できる話ならば金員を交付することを余儀なくされるだろう。Bには、金員を交付する以外の行為の可能性は小さい。そのようなとき、詐欺行為は間接正犯的と言えると思う。
 それに対して、Bがその美術品をそれほど欲しがってもいず、Aの言動もいぶかしいものだったとき、Bには金員を交付する以外の行為の可能性は大きい。そのような状況にもかかわらず、Bが様々な事情を考慮して敢えてその美術品のために金員を交付したとき、Aの行為は教唆犯的といえる。その場合、Aの詐欺行為は(2)教唆犯型と言える。
 最後に、(3)心理的幇助型。例えば、資力のないAに金を貸そうと思っているBに対し、Aが、自分はうつ病だから早く金を貸さないと自殺するかもしれない、と虚偽の情報を与え、それによってBがAはうつ病だと誤信し、BがAに金員を交付する時期が早まった、という事例。交付行為の決意を惹き起こすのは教唆犯型だが、既に成立している交付行為の決意を強化・促進して、刑法的に重要な結果の変更をもたらすのが心理的幇助型である。この点、心理的幇助に関しては、心理的因果性の特殊性から、幇助行為が結果に変更を加えない場合でも、幇助行為が正犯行為を実行する理由となりその心理を強化・促進しただけで因果関係を認める説もある(注13)。だが、前記のように心理領域についても仮定的条件公式は使用できるので、幇助行為がなくても同じ結果が生じたであろうときにも幇助行為と結果との因果関係を肯定するのは妥当ではない。結果に変更を与えないような幇助は結果への寄与度が小さく、帰責性が小さい。

3.2.動機の競合の類型

(1)仮定的因果経過の事例
 仮定的因果経過の事例とは、ある行為から結果が発生したが、仮にその行為がなかったとしても、潜在的・仮定的な条件が現実化することによって同一の結果が生じたであろう場合である。
 例えば、結婚詐欺事件(RGSt 76. 82. 1943)。被告人は被害者である婚約者とその両親に対して、被告人が結婚していたこと、被告人の妻が離婚訴訟において、姦通を理由とする離婚に反対する反訴を提起していたこと、更に、被告人は他の女性とも性的関係があり、その女性に結婚の約束をしており、その女性が妊娠していたことを秘匿して被害者と婚約し、被害者の父親をして娘のために持参金として五千マルクを準備させ、その金員の処分権限を得て費消した。婚約者とその家族は被告人が金員を費消したあとで秘匿された事実を知った。被告人は妻と法律上離婚し、他の女性と結婚した。上告趣旨は婚約者とその父親の次の証言に基づいて、欺罔行為の財産的損害に対する原因性が欠けると主張した。即ち、彼らは被告人に今なお残る古い束縛を事前に仮に知ったとしても産まれる予定の子供と結婚を顧慮して五千マルクを用意し、被告人に銀行預金の引き出し権限を与えたであろう、と (注14,15)。
 被告人の欺罔行為の時点では、婚約者とその父親においては、まだ産まれる予定の子供と結婚を顧慮するという動機は顕在化しておらず、これは仮定的因果経過の事例といえる。

(2)重畳的因果関係の事例
 重畳的因果関係の事例とは、複数の独立した行為が、それぞれ単独では結果を発生させることができないが、それらの行為が競合することで初めて結果を発せさせることができる場合である。
 例えば、乞食詐欺の事例において、乞食の虚言による錯誤と乞食から解放されたいという欲求が、それぞれ単独では施しを与える行為を惹き起こさないが、両方が競合することで初めて被害者が施しを与えるような場合である。

(3)択一的競合の事例
 択一的競合の事例とは、複数の独立した行為が競合して結果を発生させた場合に、そのすべてを除けば結果は発生しなかったが、それらの行為のいずれもが単独で同じ結果を発生させることができた場合である。
 例えば、乞食詐欺の事例において、乞食の虚言による錯誤と乞食から解放されたいという欲求が、それらの両方を除けば施しを与える行為はなかったが、それぞれ独立に施しを与える行為を惹き起こせたような場合である。

(4)強化・促進の事例
 3.1.(3)参照。

(5)逆の強化・促進の事例
 錯誤が単独で交付行為を導けるものであったが、それに他の動機が加わることで、錯誤による交付に向けられた心理が強化・促進され、刑法上重要な結果の変更が導かれたような場合。
 例えば、乞食詐欺の事例で、乞食の虚言による錯誤だけで交付行為は導けたのだが、乞食から解放されたいという欲求が競合することで、錯誤単独の場合と比べて交付の時期や交付の額が変更されたような場合。

(6)交付を阻害する動機の競合の事例
 錯誤があったのだが、同時に、交付行為を妨げるような他の動機も競合していたような事例。交付を阻害する動機があったにもかかわらず、結局錯誤により交付が導かれるケースと、交付を阻害する動機によって、錯誤があったにもかかわらず交付がなされなかったケースが考えられる。

3.3.動機の競合の因果的処理(注16)

(1)仮定的因果経過の事例
 被害者は、たとえ錯誤に陥らなくても、産まれてくる子供や結婚のことを考えて詐欺師に五千マルク交付したであろうから、形式的には錯誤と交付行為には条件関係がないようにも思える。
 だが、交付行為という結果をその日時や金額も含めて具体化するならば、欺罔行為によって交付時期を早めたことは十分考えられるし、欺罔行為がなかったら被害者は違った金額を交付したかもしれない(注17)。よって、被害者が錯誤に陥らなければ、その日時・その金額の交付行為はなかった、という条件関係をたいていの場合は認めることができる。
 また、詐欺師は被害者の錯誤・交付行為を当然予見して欺罔行為を行っているのだから、欺罔行為から錯誤・交付行為にいたる因果経過は相当なものであり、この事例ではたいていの場合錯誤と交付行為の間に因果関係が認められ、詐欺既遂となる可能性がある。

(2)重畳的因果関係の事例
 錯誤の程度が強くなく、被欺罔者に交付行為以外の行為の可能性が大きい場合なので、被害者が交付行為を余儀なくされる間接正犯型の詐欺の事例では問題とならない。もっぱら教唆犯型の詐欺の事例で問題となりうるにすぎない。この場合、錯誤を取り除けば交付行為はなかったといえるので、条件関係は問題なく成立する。
 だが、仮に、行為者も一般人も予測できなかったような動機が競合することで初めて交付行為が導かれたようなとき、因果関係は相当なものといえるだろうか。例えば、AがBに贋作の絵画を本物だと偽って売ろうとして、Bはそれが本物だと誤信したが、買うまでには至らなかった。ところが、ある日Bはたまたま会った友人のCに、その絵画が本物だとしたら、Aの提示する金額は格安だということを教えられた。BはAから贋作の絵画を購入するため代金を支払った。なお、Aは、BがCからそのような情報を得ることを予想だにしなかったし一般人も予見不可能であった。――このような場合は、判断基底からCによる情報が除かれることにより、相当因果関係は否定されるとしても良いと思われる。よって詐欺未遂となる。このような場合と違って、競合する動機が予見可能なものであれば、相当因果関係は肯定される。よって詐欺既遂となる可能性がある。

(3)択一的競合の事例
 錯誤の程度が強く、被欺罔者に交付以外の行為の可能性が小さい場合なので、主に間接正犯型の詐欺で問題となる。また、教唆犯型の詐欺でも、錯誤のみで十分交付行為を惹き起こせる場合が多いので、教唆犯型の詐欺でも問題となる。この場合、被害者は錯誤がなくても他の動機から交付したといえるので、形式的には錯誤と交付行為の間の条件関係は否定される。だが、錯誤以外の動機から交付する場合は、錯誤によって交付する場合と比べて交付行為の時期や場所、金額が異なる可能性がある。その場合は、錯誤がなければその時期・その場所・その金額の交付行為はなかったといえるので、条件関係を認めてよい。
 だが、他の動機によっても同じ態様の交付行為がなされる場合はやはり条件関係が否定されるようにも思われる。しかし、重畳的因果関係の事例では、択一的競合の事例よりも両条件の結果への寄与度が小さいにもかかわらず両条件と結果との間に因果関係が認められるのに、両条件の結果への寄与度がもっと大きい択一的競合の事例において両条件と結果との間に因果関係が認められないのは妥当ではない。よって、重畳的因果関係の事例において条件関係を認めることとのバランスをとるため、択一的競合の事例においても条件関係を肯定するべきである。
 択一的競合の場合で、他の動機の介入が相当でないときでも、他の動機を判断基底から除いても錯誤は単独で交付行為を導けるので相当因果関係は認められる。よって、択一的競合の事例では詐欺既遂となる。

(4)強化・促進の事例
 欺罔行為による錯誤が、交付の意思を強化・促進し、錯誤がなかった場合と比べて、交付時期を早めたり、交付金額を増やしたりした場合、錯誤がなければその時期・その金額の交付はなかったであろうと言えるから、錯誤と交付行為の間に条件関係が認められる。錯誤によっても交付行為の態様にたいした変更をもたらさない場合は、錯誤と交付行為の間の条件関係は否定される。
 被害者が交付の意思を持っていることを行為者が知らず、また一般人も認識不可能だった場合、相当因果関係は認められるか。この場合、相当性判断を形式的に適用すると、被害者の交付意思が判断基底から除かれることで相当因果関係が否定されるようにも思われる。だが、心理的幇助型の事例では、交付行為へと向かう主要な因果系列は被害者の意思に基づく因果系列であり、被害者の意思が因果系列を規定している。行為者はその因果系列に欺罔行為でもって介入したに過ぎない。よって、相当性判断によって主要な因果系列の源を除き去るのは、因果系列を過度に規範化し、因果系列の事実的基礎を過度に失わせるもので妥当ではない。それゆえ、心理的幇助型においては、錯誤と交付行為との間の因果関係は条件関係で足りると解する。よって、錯誤と交付行為の間に条件関係があれば詐欺既遂となる可能性があり、条件関係がなければ詐欺未遂である。

(5)逆の強化・促進の事例
 この場合は錯誤と交付行為の間に条件関係は認められ、相当性も認められるので、詐欺既遂となる可能性がある。

(6)交付を阻害する動機の競合の事例
 錯誤が強度のもので、交付を阻害する他の動機が競合しても結局交付行為が生じるのならば、錯誤と交付行為の間に因果関係があることに問題はない。だが、錯誤のみだったら交付行為を導けたのだが、交付を阻害するような他の動機の予期せぬ働きによって交付行為が生じなかったような場合はどのように解したらよいだろうか。犯罪結果が発生していない以上、詐欺未遂とせざるを得ないが、結果を発生させるのに十分な危険性のある行為をしておきながら、たまたま介入した予期せぬ事情によって未遂となるのは不合理ではないか。例えば、あるコレクターBがある美術品を欲しがっているとする。その情を知ったAが、Bに対して、売る気もないのにその美術品を売るともちかけ、Bはその美術品が手に入ると誤信して、BがAに対して金員を交付することは確実だった。だが、BがAに金員を交付する期日の前に、たまたま友人Cと話をして、その美術品と同じ値段で、もっとBが欲しがっている美術品が手に入ることが分かった。BはAに金員を支払わなかった。
 条件関係公式は結果が発生した場合に使用され、相当性判断はその後になされる。つまり相当性判断は結果が発生したときのみ行われるのが通常である。だが、結果が発生しなかったときも相当性判断をすることは可能ではないだろうか。上の事例で、AはBがCから別の美術品の情報を得ることを予測だにしなかったし、一般人も予見できなかったとすると、Bの別の美術品を買う欲求というものは判断基底から除かれる。そうすると、Aの欺罔行為からBの財産上の損害が生じたはずであり、Aには既遂類似の責任を問うてもよいのではないだろうか。
 仮に、条件関係を事実的なもの、相当因果関係を規範的なものだと考えると、まず条件関係公式によって相当性判断の基礎となる事実的因果関係を確定し、その後帰責の妥当性を確保するために相当性判断をするというのが正しい順序であると思われる。だが、条件関係の認定にも既に規範的判断が入り込んでいるとする本稿の立場からすると、必ずしも先に条件関係判断をして後に相当性判断をするという順序を踏まなくてもよいのかもしれない。そうすると、先に相当性判断をしてその後に条件関係判断をするという判断の順序もありえないものではない。


4.結論

 詐欺罪の因果経過の中で、特に錯誤と交付行為との間の因果関係を問題にした。交付行為は錯誤のみにより導かれるわけではなく、他の動機と競合することで導かれたり導かれなかったりする。錯誤と他の動機が競合したときの、錯誤と交付行為との因果関係をどのように判断したらよいか。その判断方法を導くために、動機の競合の舞台となっている心理領域においていかなる因果判断ができるかを問い、仮定的条件公式と折衷的相当因果関係説の使用が妥当であることを示した。その判断方法を用いて、動機の競合の各類型(仮定的因果経過、重畳的因果関係、択一的競合、強化・促進、逆の強化・促進、交付を阻害する動機の競合)について、錯誤と交付行為の間の因果関係の成否を判断した。
 心理的因果性の問題について、本稿が十分に論ずることができたとはいいがたい。だが、刑法の予定する「結果」概念、「法則」概念については、本稿のような把握の仕方も不可能ではないのではないか。いずれにせよ仮定的条件公式が心理領域でも使えるとすれば、因果関係の認定が明確になると思われる。


1 なお、欺罔行為と錯誤の間の因果関係も問題になる。欺罔行為の態様が、通常人なら錯誤に陥らないであろう場合でも、被欺罔者のだまされやすい性格などが競合することで、被欺罔者が錯誤に陥るような場合である。これについて本稿では取り扱わないが、処理の仕方は動機が競合する場合と同じだと思われる。
2 団藤重光『刑法』改訂版(弘文堂、1956年)62ページ。旧字体を新字体に改めた。
3 林陽一『刑法における因果関係理論』(成文堂、2000年)35ページ。
4 同、67ページ。
5 林幹人「共犯の因果性」(『刑法の基礎理論』、東京大学出版会、1995年)182-183ページ。
6 森川恭剛「教唆犯の因果性と行為の目的論的解釈」(『九大法学』69号)88-89ページ。
7 K.Engisch, Die Kausalität als Merkmal der strafrechtlichen Tatbestände, 1931, S.28.植田博訳。
8 Engisch, a.a.O. (Anm.1), S.11f.
9 林陽一、前掲書、262-263ページ。
10 林幹人『刑法総論』(東京大学出版会、2000年)120ページ。
11 林陽一、前掲書、74ページ。
12 H. L. A. Hart and A. M. Honoré, Causation in the Law (Oxford, 1959), pp.323-333.
13 林幹人「共犯の因果性」(『刑法の基礎理論』、東京大学出版会、1995年)195ページ。
14 植田博「犯罪形態における因果関係の意義」(『刑法雑誌』26巻2号)226-227ページ。
15 このように、詐欺罪において動機の競合が問題となるのは、主に弁護人の防御活動において、欺罔行為による錯誤ではなく他の動機によって交付行為が導かれたのだから欺罔行為と結果との間には因果関係はない、という主張がなされたときである。
16 各類型は3.2.の各類型に対応しているので、3.2.も参照のこと。
17 この事例では、被害者は、詐取された金額と同じ金額(五千マルク)を、欺罔されなくても払ったであろうといっている。だが、それは実際に詐取の結果が生じたためその金額が念頭におかれているからである。詐取の事実がなく、単純に産まれてくる子供と結婚のことを考えて金員を交付するなら、それが詐取の金額と一致することは稀だと思われる。