社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

中村佑子『マザリング』(集英社)

 

 母であることの現象学。子を産むときの圧倒的な体験はあまり言語化されてこなかった。本書は、母であることについて多角的に言語化することを試みている。子を産んだ時、自分と子どもは未分化な状態になる。それは自分たちが周縁的な存在になることでもある。妊娠期、女性は自分の身体に大きな秘密があり、それが匿名的な「生命」そのものの大きな広がりへと接続していくのを感じる。その他、女性であることで性的な視線にさらされることや、フェミニズムの動き、養子関係、男性から見たマザリングなどについて、自らの経験だけでなく他者へのインタビューを通じて掘り下げていく。

 本書は女性の視点から描かれているが、子を持つ男性としても大変興味深く読んだ。子を持つということをこのように微細に記述されると、新しい発見がいろいろとあり、「言語化する」ということの力を感じた。母となることは確かに基本的に言語化を拒むものではあるが、そこをあえて言語化していくことで可視化されること、あるいは不可視であることが再確認されること、そういうものの輪郭が見えてきた。子を持つ者皆におすすめしたい本である。

ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』(岩波現代文庫)

 

 本書は、著者がYahooなどの各媒体に発表した短い時評を年代別に編んだものである。扱っているのは主にイギリスの社会問題や政治事情である。普段日本で暮らしていると、問題をたくさん抱えているのは日本ばかりのように思えてくるが、本書を読むと、イギリスはもしかすると日本以上に問題を抱えているのではないかと思えてくる。また、日本とイギリスに共通する問題も見えてくる。

 要は、新自由主義経済に基づく経済格差により弱者が困窮していることを政治の失敗として著者は様々な事例を通して訴えたいのだ。緊縮財政が敷かれているイギリスでは福祉に対する財政措置が十分でなく、弱者が貧困などで困窮している。だが、それは同じく新自由主義的経済をとるわが国でも問題になっていることである。新自由主義、小さな政府の弊害はアメリカを例にみるとよくわかるが、日本でもいずれはイギリスほど事態は悪化するかもしれない。そのような警鐘を鳴らす本でもあると思った。

勤務時間中のスマホ

 かつては、勤務時間中に携帯電話をいじっていると職務専念義務に違反するとして懲戒処分を受ける可能性すらあった。だが、スマホの高機能化により、勤務時間中にスマホを操作することが必ずしも職務専念義務に違反することにはならなくなっているのが近年の状況である。

 携帯電話の私的利用についても、必要な限度において容認する判例がある。確かに勤務時間中であっても家族からの急を要する連絡に対して応答できないとするのは理不尽である。我々は会社時間だけを生きているのではなく、生活している生身の人間だ。生身の生活している人間としての側面は勤務している間も残っているわけであり、生活について必要な連絡等についてスマホを操作することは必要である。仕事中だかといって緊急事態に応答できないようであれば家族失格である。

 また、スマホの操作が業務を遂行するにあたって必要であり便利である局面も多々生じている。一番よく使うのが検索サービスであろう。業務中、必要な情報を調べるのに職場のパソコンを操作するよりスマホの方が迅速で確実な場合が多い。情報検索において特にスマホの操作を制限する必要はない。

 そして、業務連絡にスマホを使うことも多くなってきた。ラインやSMSなどのサービスを用いて業務上の連絡をすることは簡便であり特に緊急時には有効である。パソコンは長文を作成するのに適しているが、立ち上げるのに時間がかかり、設置されている場所も限られているので、迅速に連絡を取りたい場合はスマホに連絡を入れた方が有効なのだ。

 勤務時間中、生活のために最小限の連絡を取ること、または業務上必要な操作や連絡のためにスマホを操作することはもはや職務専念義務違反とは言えないのではないか。一律にスマホをいじっていると仕事をサボっているとみなすのはもはや時代遅れだ。スマホはそこまで勤務時間に入り込む存在となっている。

育てることで育つ

 娘が産まれてから間もなく300日が経とうとしている。私はこれまで育児に携わってきたわけだが、まさに娘を育てることにより私自身も育っていると思う。

 まずは人生の豊饒化である。一つには自らの血を引いた人間が一人生まれ出たということにかかわる喜びなどの複合的な感情。また一つには日々の子どもとの触れ合いがもたらす喜びや大変さなど。そして何よりも人生にまた一つ「育児」という窓が開かれ、この領域が非常に豊穣であるということ。

 育児という窓が開かれることで、私は全く新しい経験をした。それはケアの経験である。私はこれまで事務職を生業としており、介護職などを経験したことがなかった。それがいきなり子の介護というケアの仕事をやらなければいけなくなったのである。育児というケアには膨大な知識と経験が必要である。本や雑誌、インターネットなどで育児情報を得て、実際に子と触れ合うことで経験値を積み、育児というスキルをだいぶ身につけた。このスキルアップにより育てられたことは大きい。

 それだけではない。育児は相手のあるものだし、しかも常に助けが必要な相手であることから、必要な時にはどんなに疲れていても、どんなに眠くてもケアしなければならない。この理不尽さに耐えること。これは一種災害とか社会とかの理不尽さに耐えることに似ている。育児をすると忍耐力が鍛えられるのである。

 また、育児と仕事の両立といったもの。私は毎日定時で帰っているが、その分朝頭早く出勤し脳が活発に働いているうちから仕事を効率よく済ませるように努めるようになった。定時で帰らなければいけないからこそ、無駄な仕事はやらない、仕事に優先順位を付けるなど、いろいろな段取りを取るようになった。また、育児によって常に心身に負荷がかかっているため、リフレッシュをしっかりすることを心がけるようになった。上手に休むことがすごく大事だ。

 そして、何より妻との協力体制が強固になったこと。また、協力して物事を行うことが上手になったこと。妻は育児の負担を多く担っているので、妻が食事をしたり身支度をしたりするとき、一休みしたい時などは私が子供を見たりする。また、育児の方針ややり方について常々妻と話し合い、よりよい方向を模索してきた。

 育児をすることで、私は人生の新たな窓が開かれ、ケアという新たなスキルを手に入れ、忍耐力が鍛えられ、仕事の効率が上がり、協力することがうまくなった。育てることで確実に育てられている。

武井彩佳『歴史修正主義』(中公新書)

 

 主にホロコーストに関する歴史修正主義について入門的に書いた本。歴史修正主義には、政治体制の正当化や不都合な事実の隠蔽という政治的な意図が存在し、単なる歴史解釈を超えるものである。歴史修正主義は現在における歴史の効用を政治的に利用しようとする未来志向のものである。このような歴史修正主義ホロコーストやジェノサイドを否定したりするが、それは人種偏見を増長し憎悪を扇動し社会のアイデンティティを破壊するという社会一般に対する不利益をもたらす。だから現在ヨーロッパではホロコースト否定などには刑罰が科されている。

 本書は、おもにヨーロッパの歴史修正主義について、歴史修正主義の歴史を書いている。歴史修正主義については歴史哲学的なアプローチもとれるとは思うが、本書は歴史学的なアプローチをとっている。だから、歴史とは何か、という哲学的な問題についてのアプローチについては弱いし、またホロコースト否定罪についての法的アプローチについても弱い。歴史修正主義については哲学的・歴史学的・法的にアプローチできるが、本書は主に歴史学的にアプローチしている。そこに本書の特色がある。