社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

中原・金井『リフレクティブ・マネジャー』(光文社新書)

 

  マネジャーの学びと成長について書かれた本。これは何も中間管理職だけでなく、ヒラの社員にでも十分通用する話である。人は内省することで成長する。つまり、この仕事はどういう意味を持っていて組織の中でどんな位置づけを持っているか、などについて反省的に考えて理解する、自分なりの持論を持つことで成長していく。その成長は個人の業績のみならず組織の業績をも高めていく。だが、単純に持論を持てばいいという話ではなく、持論と棄論は盾の両面となっている。持論は他の理論や変化する環境と照らしあわされて柔軟に変化していかなければならない。また、そのような内省の助けとして越境していくことも重要である。異業種の人と話をする、勉強会に参加するなどして、自らの所属する組織を相対化していくことで内省はさらに深まっていく。

 本書は人材育成における内省の重要さについて書かれた本である。経営学や教育学の専門的な理論も出てきたりして読みごたえは十分にある。いろんな働く人にお勧めしたい本であるが、私も早速内省を実践したくなってきた。自分の携わっている仕事についてまとめてみる、その意味合いや位置づけについて整理してみる、そんな作業が大事なのではないか。

 

ウォーキングについて

 私は40歳にもなり、健康診断でも脂肪肝の診断を受けるようになったため、土日はたいてい筋トレとウォーキングに励んでいる。もちろんきっかけは生活習慣病を予防するためだが、ウォーキングは始めてみるといろいろとメリットがあることが分かった。
 私は毎週末近くの公園に行き、そこのウォーキングコースを30分ほど歩く。少し元気のない日でも、ウォーキングをし終わったころには心と体が活性化し、やる気に満ち頭がさえてくる。ウォーキングは日光をたくさん浴びるのがよいのだろう。また、リズムの伴った有酸素運動というのもいいのだろう。BMI指数で太っているという値をたたき出していた私も順調に痩せてきており、 健康面でのメリットが大きいのはいうまでもない。
 だが、ウォーキングは単なる健康志向の行為ではなく、もっと総合的な行為のように思える。公園を歩いていると、四季折々の自然が目に入る。自然と一体化したような、深い安堵を感じるのである。また、歩いているときは割と自分の身体に注意が向かうため、日ごろ等閑視されている己の身体と親しくなるチャンスでもある。さらに、歩いていると様々なアイディアがわいてくる。あれはこうしたらよいのではないか、それについてはこうしよう。そういう気づきが導かれるのだ。また、歩くことは内省を促す。日々の雑事に紛れてじっくり考えられないことでも、歩いているときは時間があるのでじっくりと考えることができる。
 私がウォーキングについて一番良い作用だと思っているのが、この内省を促す作用である。日々浅くしか考えていないことを掘り下げて批評的に俯瞰するということ。これは自らの人生にとって役に立つだけでなく、仕事や趣味、家庭生活にも役立つだろう。私にとってウォーキングは内省の時間であり、ウォーキングが終わったころには一つ二つの気づきや発見があるものである。

 

蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書)

 

  ドイツの政治学者でナチに加担したカール・シュミットの入門書。カール・シュミットは「例外」に基礎をおいて理論を展開している。「例外」とは極限の事例であり、政治における「例外状況」とは現行の法秩序が停止される状況を意味し、ときには人々の生死が危機に瀕する状況を指す。緊迫した「例外状況」における「決断」こそが政治の本質であり、その「決断」が政治的秩序を保証する。カール・シュミットは、決断の主体として「独裁」を重視しており、独裁体制も国民の意思を反映しており民主主義的である。例外状況における独裁者による決断こそが優れて政治的なのである。

 カール・シュミットの思想はナチに親和的であり、実際ナチの御用学者として活躍した時期もある。だが、それは現実的な問題であって、理論面からみた場合、彼の理論は政治理論としてかなり特異で興味深いものをはらんでいる。例外状況に着目し、そこから出発した政治理論というものは少ないだろう。政治的なるものとはなんであるか考えた場合、彼の思想はかなりクリティカルなものを含んでいると思われる。

與那覇潤『知性は死なない』(文藝春秋)

 

  地方大学の准教授として勤務していたが、うつ病で退職を余儀なくされた元歴史学者当事者研究、文明批評。うつ病にり患した当事者として、世間で持たれているうつ病への誤解を改めるような意見を提示し、またうつ病にかかることで気づいた言語と身体の二つの軸を基本に据えて平成の社会を批評していく。

 これはうつ病でIQが下がったという著者のリハビリの書でもあり、うつ病で言葉を発することができなくなったという著者の言葉の回復の書でもある。うつ病で著者は言語を失い、身体の重要性に気付く。そこから、言語/身体という分析軸で社会批評をしていく契機が生まれる。知性主義や帝国、ポピュリズムメリトクラシー、友達の定義やイスラムの問題など、著者の筆は縦横無尽に世界を駆け巡る。

 本書を読んで感じたのは、奇妙な書物であるということだ。体系書でもなければエッセイでもない、単なる時評でもない、それらが混然と混ざり合っていて、不思議な広がりを見せている。本書はあえて完成させないことで広い射程を獲得したのかもしれない。

浜屋・中原『育児は仕事の役に立つ』(光文社新書)

 

  タイトル通り、育児は仕事の役に立つということを実証的に示す本。旧来、仕事と家庭は対立するものと考えられてきた(ワークライフ・コンフリクト)。だが、近年ではむしろ仕事と家庭が互いに良い方向に影響し合う研究が増えている(ワークライフ・エンリッチメント)。本書で示される研究もまたワークライフ・エンリッチメントの研究であり、旧来対立的に考えられてきた仕事と育児の正の相乗効果を示すものである。

 本書は、「協働の計画と実践」、つまり配偶者と役割分担を取り決めたり、事情が変わったときにすり合わせたりすることや、「家庭外との連携」、つまり保育園との関係づくりやトラブルシューティング、保育園関係のイベントや他の保護者との関係づくりなどを積極的にこなして行くことで、保護者のリーダーシップが高まることを統計的に示している。リーダーシップとは課題管理や人間関係、変革に関わるものである。

 マタハラやパタハラが問題視されるようになって久しい。だが、本書はそもそもマタハラやパタハラにはきちんとした根拠がなかったどころか、逆に前提を誤っていたことを示す本だといえる。それらのハラスメントは育児が仕事の役に立たないことを前提としているが、ここでは逆に育児が仕事の役に立つことが科学的に示されている。マタハラやパタハラがいかに不毛で有害であるかがよくわかる。