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孤独なクレーマー

 行政職員をやっていると様々なクレームを受ける。そのクレームが自分の担当する事務や所管する事務に関するものだったら速やかに対応するのみだ。だが、中にはほとんど自分の担当事務と関係のない案件について切々とクレームを訴える人もいる。端的にクレームを申し立てる窓口を間違えていると切って捨てることも可能だが、事情はそう単純ではない。そういうクレーマーは、たいてい悩みで苦しんでおり、それでありながら周りには話を聴いてくれる人がいなくて、藁にも縋る思いで行政の筋違いの窓口に電話をかけてくるのである。私はひそかにそういうクレーマーを「孤独なクレーマー」と呼んでいる。

 孤独なクレーマーは様々な悩みを抱えている。その悩みの一角に、私の担当事務がかろうじて掠るのである。それをよすがに孤独なクレーマーは私のところに電話をかけてくる。それで孤独なクレーマーの話す内容は、家族の問題とか自分の受けたひどい仕打ちのこととか、とにかく誰かに吐き出して少しでも心が軽くなりたいような内容なのだ。それは直接的には私の業務とは関係がない。だが、孤独なクレーマーは誰も聴いてくれない自分の悩みを切々と訴える。

 孤独なクレーマーは高齢だったり病気を抱えていたりする社会的弱者であることが多い。誰も聴いてくれない悩みを誰かに聴いてほしくて何かで知りえた行政の窓口に電話をかけてくる。孤独なクレーマーが電話をかけてきたとき、とにかくちゃんと話を聴いてあげることが大事である。なぜなら、孤独なクレーマーの真の欲望は誰かに話を聴いてほしいということなのだから。自分の業務とは関係なくても、孤独なクレーマーの望んでいるのはそんな回答ではない。とにかく誰かに話を聴いてほしいのだから、話を丁寧に聴いてあげる。大変でしたねえ、心中お察しします、そういう相槌が欲しいのである。結局問題が真に解決することはないが、孤独なクレーマーの話を聴いてあげるだけで、孤独なクレーマーの心をやわらげ、より過激なクレーム行為や犯罪へと駆り立てることを抑止することができる。

 行政は所詮冷酷な権力装置でしかない。だが、だからと言って弱者を差別したり、排除したり、弱者への想像力を失ったりしてはいけない。クレーマーの相手をするのは負担ではあるが、そういう人たちのメンタルを少しでも良くするため、特に孤独なクレーマーの話はよく聴いてあげる。もちろん悪質なクレーマーの場合はまた対応は別だ。その線引きは非常に難しいが、現代はみんなが心の余裕を失っていて、人の話を聴くという当たり前のことが機能不全に陥っていて、それが人々のメンタルを悪化させ、悪循環を生んでいる。少しでも他人の話を聴いてあげることで自分の話も聴いてもらえるようになる。その循環が人間社会の基礎にあることを忘れてはいけない。