- 作者: 野家啓一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/02/16
- メディア: 文庫
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本書は、歴史を物語りとしてとらえ、その上、科学と文学と哲学の境界を緩やかなものとしている。本書の基本テーゼは以下である(pp.157-158)。
(1)過去の出来事や事実は客観的に実在するものではなく、「想起」を通じて解釈学的に再構成されたものである。[歴史の反実在論]
(2)歴史的出来事と歴史叙述とは不可分であり、前者は後者の文脈を離れては存在しない。[歴史の現象主義]
(3)歴史叙述は記憶の「共同化」と「構造化」を実現する言語的制作にほかならない。[歴史の物語論]
(4)過去は未完結であり、いかなる歴史叙述も改訂を免れない。[歴史の全体論]
(5)時は流れない。それは積み重なる。[サントリー・テーゼ]
(6)物語りえないことについては沈黙せねばならない。[歴史の遂行論]
野家は、客観的な歴史の存在や歴史法則の存在に懐疑的である。だが、だからといって歴史は単に知覚されるものではなく、原因と結果という時間的に離れたもののつながりという出来事として物語られなければならない。だから、歴史は、非連続なものの連続、つまり、非連続な出来事たちがつながっていくことで成立する。そして、歴史は語られるものであると同時に騙られるものでもある。それは、共同体における伝達においてゆがめられ、それぞれの伝達者の創意が含まれるものである。
本書で一番重要なテーマは、歴史と文学、歴史と科学、歴史と哲学の相似性である。文学も科学も哲学も、それぞれが理論のネットワークとして、全体の整合性において機能する。虚構の指示対象も、科学における理論的存在も、哲学における抽象的な存在も、すべてそのテクストの整合性の中で意味を持つ。科学が改訂されるのは、既存の科学理論で説明できない異分子の出現によってであるが、歴史が改訂されるのも、いまだ物語られていない出来事が物語られることで既存の歴史の整合性が破れるときである。
歴史を客観的な時間の流れとして捉えるのではなく、あくまで間主観的に騙られていくテクストとして考えることで、文学・科学・哲学という他のテクストとの連携にまで思考が及んでおり、とても興味深い。