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正義の隠蔽作用

 SNS上でよくみられる炎上現象を見ると、失言などを攻撃している人たちは大方自分を正義の側の人間とみなし、失言などをした人の欠点を突いているのである。一般的に言って正義に従って行動しているということは人々に安心をもたらす。正義に従っていれば自分は非難されることがないからである。
 だが、人が正義に則って他人の非を攻撃しているとき、そこではその人の別の部分における不正が隠蔽されている。正義に則って他者を攻撃する人でも何らかの非は抱えている。だが、正義を味方につけることはあたかも自分の他の欠点を無効化するような効力を発揮する。正義はみずからの非を隠ぺいする作用を果たすのである。
 これは何も炎上現象に限ったことではない。例えば就職する、結婚する。すると、いかに自分がいろいろと人格的に問題を抱えていようとそれだけで肯定されたように感じてしまう。就職しておけばとりあえず安心、あとは問題ない。結婚しておけば大丈夫、あとは問題ない。規範に則るということはそのような思考停止を導くのである。
 自分は正義を体現している、それは素晴らしいことだ。正義に基づいて不正を告発する、それも大したものだ。だがそのように正義に酔っているとき、自らの欠点や不正は隠蔽されてしまう。あたかも正義が自らの全領域にいきわたっているかのような錯覚が生まれるからだ。正義を唱えるときこそ、逆に自らを省みないといけないのではないだろうか。