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ロックという生き方

 音楽のジャンルとしてのロックは1960年代ごろから栄え、今や多くのサブジャンルに細分化された巨大で複雑な現象であるが、ロックミュージシャンたちがとっていた基本的な態度というものがあると思う。もちろんミュージシャンはそれぞれに異なった価値観を持ち異なった生き方をしている。だが、あえてそこから典型的な倫理的態度を抽出したい。そして、そういうロックという生き方はロックミュージシャンの専売特許ではなく、歴史上の人物もまた同じような生き方をしたのだということを主張したい。
 ロックという生き方を典型的に示しているのがアントニオーニの『砂丘』(1970)という映画だと思う。この映画はピンクフロイドの楽曲を採用していることからもわかるように、ロックとのかかわりが深い。学生運動、フリーセックス、ヒッピーなどと関連付けられることの多い映画だが、それよりも私はこの映画の登場人物のロックな生き方に興味を惹かれる。
 主人公は学生運動をして捕まりそうになるのを逃れ飛行機を盗み、飛行機で飛んだ先で出会ったヒロインと愛し合う。ヒロインはビジネスマンの秘書だが、ラストシーンではヒロインがビジネスマンたちが会合している建物を爆破するかのような映像が流れる。
 主人公にせよヒロインにせよ、何らかの原理(この場合は自分の欲望に忠実であるという原理)に従い、権威的なものに対する反抗を行動でもって示すということをやってのける。そして、この自らの信念に従って権威的なものへ反抗的な行動をとるという生き方が、まさにロックという生き方なのだ。
 このような意味から、例えば私はマハトマ・ガンディーは極めてロックな生き方をした人物だと思っている。南アフリカでインド人が不合理な差別を受けていることに義憤を感じ、非暴力不服従という原則に従い示威行動をしたガンディー。インド本国に帰ってもイギリス帝国の抑圧に対して自らの信じる正義に則って果敢に立ち向かっていったガンディー。彼こそロックという生き方を体現していたのではないだろうか。そしてガンディーは歴史を動かした。
 ロックという生き方は渡世術とは正反対の方向性を持っている。渡世術は我々に、いかにうまく体制に寄り添い体制から恩恵を受けるかを教える。そして平和で安楽に生活するためには人々には渡世術が必要なのである。ロックという生き方は絶えざる戦いと困難を生み出すため、生活を苦しく厳しいものとする。我々は渡世術を磨きながらも、時にはロックに声を上げてもいいのではないか。時には何かと戦わねばならない時期が人生にはやってくる。そして、何かを変えるためにはロックという生き方を採用せざるを得ない時がある。ロックとは信念に基づいた変革の思想なのだ。