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社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

實川幹朗『思想史の中の臨床心理学』(講談社選書メチエ)

心理学 社会哲学

 

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

思想史のなかの臨床心理学 (講談社選書メチエ)

 

 意識と無意識というものが思想史上どのように扱われてきて、それらの位置づけが臨床心理学によって革命的に変わったとする本。 

 臨床心理学の思想的意味として、無意識を意識化することで病が治癒する、という意識の特権化がある。だが、中世では意識とは感覚的な認識にとどまり、個別的で物質的であるため普遍性を持たないものとされた。認識が高度化すればするほど、それは普遍性を持ち物質から離れ、無意識に近づいていく。無意識は高度な認識に導く働きを持っていた。

 だが、19世紀後半に臨床心理学によって「意識革命」が起こり、無意識を意識化することで物事が解決するという思想が生まれ、同時に意識を個人的なものとみなすようになった。

 本書は意識と無意識を巡る思想史であり、心理学と哲学を架橋する興味深い本である。その中で臨床心理学に特異な位置を与えている。意識革命の背後には近代科学の成熟があるのだろうが、とにかくこのような角度から語られる思想史は珍しい。今当たり前に思われている個人的な意識の系譜学的考察である。

立川武蔵『聖なるもの 俗なるもの』(講談社選書メチエ)

宗教

 

聖なるもの 俗なるもの ブッディスト・セオロジー(1) (講談社選書メチエ)

聖なるもの 俗なるもの ブッディスト・セオロジー(1) (講談社選書メチエ)

 

  宗教的なものとは何か、というごく基本的な問題から宗教学へといざなう本。

 名状しがたく、非日常的で力があり不気味で、しかし魅惑的ななにものかがある時空間とそういうものがない時空間、それを「聖なるもの」「俗なるもの」という。この二つの領域の間で宗教行為は行われる。

 聖なるものには様々な濃度の差、位階の差があり、その差は場面において刻々と変わっていく。

 本書は宗教とはどういうところで生じるのかについての基本的な考え方として「聖俗」の区別を持ち出している。聖なるものとは例えば自然の神々しい美しさでも構わない。この聖なるものの規定は、宗教をむしろ神秘的な領域から解き放つもののように思える。例えば芸術作品の鑑賞体験も十分聖なる時空間で行われうるし、聖俗というものは連続して様々なグラデーションを持つ。「聖なるものの美学」を問うことは十分可能だろう。

西谷修『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ)

社会 歴史

 

アメリカ 異形の制度空間 (講談社選書メチエ)

アメリカ 異形の制度空間 (講談社選書メチエ)

 

  ヨーロッパ世界展開の端緒で、「アメリカ」と名付けられた新天地に成立した連合国家が、短期間のうち膨張して強大な国家となり、その運命に世界を巻き込もうとしている、そのアメリカが世界史にとって何であるかについて解説した本。

 アメリカは「所有に基づく自由」という制度空間を徹底し、移民たちが自らの法権利空間を作り上げ、「外部」を力の正義によって駆逐し、ヨーロッパから独立していく。

 そしてこの制度空間は自らの成功を駆動力に、この制度空間を普遍的なもの、世界にとっての規範的なものとして拡大していった。

 本書を読むと、いかにアメリカが単純な原理に基づいているかがわかる。アメリカというものは合理的に形成された国家であるため、とても「わかりやすい」。ただ、本書をもってアメリカがすべて解明されたわけでないのも自明である。アメリカにはこのような制度空間だけでは割り切れない闇をたくさん抱えている。そのようなものに肉薄するためにも、基本的には本書のような理解が必要であろう。

海老坂武『加藤周一』(岩波新書)

文化 歴史

 

加藤周一?二十世紀を問う (岩波新書)

加藤周一?二十世紀を問う (岩波新書)

 

 加藤周一は戦後を代表する評論家であり、合理的な観察者であった。彼の功績としては主に、雑種文化論、『羊の歌』による戦後社会の描写、日本文学史などが挙げられる。

 雑種文化論とは、日本の文化には日本と西洋が混ざり合っていて双方とも抜き難く混合している、という主張であり、それゆえ片方を純粋化する国民主義近代主義は誤りで、むしろこの雑種性が積極的な意味を持っているとするもの。

 『羊の歌』は加藤自身の自伝であり、活気にあふれあらゆる方向へ創造性があふれる戦後日本を活写している。

 『日本文学史序説』は文学史を問い直す画期的な論考である。日本において思想は文学において表現され、 同じ言語による文化が持続的に発展していき、文学は主に都会の文学であり、日本人の世界観は外来文化の日本化により形成されてきた。

 加藤周一は鋭利な知性を備えた戦後を代表する評論家であり、彼についての手ごろな概説本が出たのは嬉しい。今実際彼の著作を読んでいるところであり、その助走として全体観を把握できてよかった。まずは過去の偉大な業績を消化することから現代の新たな評論は始まる。

今村仁司『抗争する人間』(講談社選書メチエ)

社会哲学

 

抗争する人間(ホモ・ポレミクス) (講談社選書メチエ)

抗争する人間(ホモ・ポレミクス) (講談社選書メチエ)

 

  社会に常々発生している抗争を根本から考えている本。人間は他者からの承認を求める虚栄心に駆り立てられる欲望の主体であり、そこから抗争や排除が生じる。人間の現実存在は基礎的に書字的(線を引くもの)であり、その書字的暴力から文字も貨幣も生まれた。

 共同体というものは常に他の共同体から自らを差異化しようとしており、そのために戦争が起こる。

 統治機構の成立により人間が平等になったとしても、必ずしも人間は幸福にはならず、倦怠に襲われて再び抗争を繰り返すかもしれない。人間は平等への欲求と差別化の欲求に常に突き動かされるからである。そんな中、肩書などの世俗的生存様式に自足せず、その世俗性に基づく差別と抑圧と暴力を超越する「覚醒倫理」が要求されるだろう。

 本書は人間社会の避けることのできない抗争や暴力について、その根源から解き明かした書物であり、様々な含蓄を含んでいる。「覚醒倫理」なる解決策はいささか理想的過ぎるかもしれないが、自分たちが日ごろいかに世俗的な物事に汲々として無駄な心労を費やしているかを考えると、何か倫理的な転回が必要なのではないかとも思えてくる。