社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)

 

  イギリスで保育士をやっている著者によるイギリスの貧困問題目撃談。

 イギリスでは労働党政権時に拡大された福祉政策が保守党政権になってから縮小され、それは貧困層に大きなダメージを与えた。保育所もかつては底辺層をしっかりと扱っていたのに、今では予算が削られ底辺層というより移民層が入ってくるようになった。そして、保育所に来る子供たちの親のほとんどは薬物依存、シングルマザーなどの社会的な問題を抱え、子供たちの間にも階級の差が生じている。階級の差もあれば移民と英国人との葛藤もある。とにかく保守党政権下のイギリスは福祉政策に関してブロークン・ブリテンを作り出してしまっている。

 本書は、保育士として実際現場で働いている著者による日々の仕事を記述する一方、その背後にある政治問題を浮き彫りにしている。ミクロから発されたマクロへの問題提起であり、本来政治とはこういうところから発生するものなのであろう。政治はミクロな個人へダイレクトに影響する。それが特に貧困層に対して謙虚である。日本も同じわだちを踏もうとしていないだろうかと不安になる。

門脇厚司『社会力を育てる』(岩波新書)

 

社会力を育てる――新しい「学び」の構想 (岩波新書)

社会力を育てる――新しい「学び」の構想 (岩波新書)

 

  階級社会を是正するための処方箋を提示。

 日本は格差社会どころか階級社会になってしまっている。優秀な人間同士が結婚し優秀な子供が生まれる一方、能力のない者同士の子どもは能力がなく育つ。そのようにして生物学的に階級が固定してしまっている。

 このような階級社会を是正するために、社会を構成する誰もが能力の多寡にかかわらずお互いの力を出し合い、成果を分かち合うことでたがいに感謝しあう社会を作り出す必要がある。そのような互恵的共同社会を生み出すためには人と人とのつながりを生み出す社会力を強化し、教育する必要がある。

 個々人の能力の比べ合いや競い合いではなく、能力の出し合いや寄せ合いをすること。能力主義ではなく、たがいに他社を理解し合い、信頼し合いながら互いに力を合わせて問題解決にあたり、課題の解決を喜びにするように教育の方向性を変える必要がある。

 本書は、近代以降自明視されているメリトクラシーに異議を述べるものであり、能力によらない社会による階級社会是正を目指すものである。確かに、日本が階級社会であることはすでに多くの識者から指摘されてきた。それに対する教育による是正ということが語られているが、まだまだ抽象論が多く青写真にとどまる感がある。ただ、多少前進は感じられた。

内田博文『法に触れた少年の未来のために』(みすず書房)

 

法に触れた少年の未来のために

法に触れた少年の未来のために

 

  近年の触法少年をめぐる状況を憂慮して書かれた本。

 子どもの権利は国際法で広く保障されているにもかかわらず、近年日本では刑罰国家への転換による少年への対処の厳格化が進んでいる。非行少年は統計的に増加していないにもかかわらず、少年非行の凶悪性が強調され、厳罰化が進む。少年への保護処分も福祉の意味合いより保安処分の意味合いが強くなっている。

 ところが、非行少年は家庭環境や社会環境によって生み出されることが多く、そのような非行少年を重く処罰するのは非行少年の人権を侵害する行為である。社会が非行少年を生み出しているのだから、まず社会を改善すべきである。例えば少年が自己肯定感を持てる社会を作るなど。

 本書は少年法の専門書であるが、触法少年をめぐる近年の動向が網羅的に詳細的に記述されており、とても勉強になった。触法少年をめぐる制度や社会の動き、NPOの活動など記述は多岐にわたっている。立法論というのはとても難しく、内田はみずからの立場を明確に示しているわけであるが、もちろん反論も根強くあるだろう。だが、内田にはこの立場を維持してもらいたい。こちらのサイドがいなくなったら議論が貧困化してしまう。

藤田・宮野『家族』(ナカニシヤ出版)

 

家族 (愛・性・家族の哲学 第3巻)

家族 (愛・性・家族の哲学 第3巻)

 

  家族について法学・社会学・哲学の観点からアプローチした論文集。

①結婚にまつわる契約・所有・個人概念の再検討をした藤田論文。

②日本の結婚における男女不平等性を考察した相原論文。

③DV防止法に基づき「法は家庭に入らず」の原則を考察した吉岡論文。

④生殖補助医療において生じる親子関係の法的問題を考察した梅澤論文。

⑤家族の共同体としての側面について論じた久保田論文。

⑥家族を哲学的に考察した奥田論文。

 本書は家庭というものを様々な角度から論じている。家庭にまつわる契約などの形而上学的問題から、日本社会の家庭の構造、家族法や刑法の家庭に関する事項、などなどである。こういう機会でもないと家庭という自明なものについて考える機会がなかなか訪れないので、本書を読んだのはとても貴重だった。ここを起点に家庭というものについて考えを深めていきたい。

能動性格差

 現代は多様性の時代だといわれる。多様性は社会福祉の観点と個人の人権の観点から説明できる。旧来の同質的な社会においては、同質でない人々を排除するという暴力が働いていた。そのような社会的排除を受ける人を少なくするという福祉の観点から、多様な人々を社会に包摂しようという動きになった。一方、個を尊重する戦後教育により多様な個性を肯定するようになり、結果として多様な個性を温存したままの若者が急増した。
 このような多様性の時代というものは、別の角度から見ると人々がバラバラになってしまった時代にも見える。それまで同質性の中で共感しあってなあなあで生きてきた日本人が、それぞれの個性で反発し合い、共感し合う土台を失っているかのようにも思える。
 だが、かつての同質性というものは受動的な同質性であった。それは上の世代からしつけられたり押し付けられたりした価値観による同質性であったのだ。現代ではむしろ能動的な同質性が育ちつつあると思われる。つまり、多様な趣味や傾向を持った人々が情報メディアでつながり合い、自らの意思で交流を深めていくという同質性である。
 ここで言う能動性とは社交性などとは違った意味合いである。全く社交的でない人でも今はウェブ上で積極的に仲間を作ることができる。現代の能動性とは自らの持っている資本のようなものであり、引き出しの多さのようなものである。引き出しの多い人間ほど多くの人と話を合わせることができ、より多くの社会関係資本を獲得することができるのだ。
 だが、だれもが能動性を備えているわけではない。昔ながらの受動的なつながり、均質的なつながりを好む人も多いだろう。また、均質的なつながりを嫌いながらも、能動的なつながりを作るリテラシーが備わっていない人も多いはずだ。引き出しの少ない人はそもそも人と対話するきっかけをつかめない。
 これからの多様性の時代に必要となる能動性を育てるため、教育も社会関係資本の形成へ力点を置き、より豊かな社会関係を構築し満たされた生活を送れるようにするべきである。