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保護法益論

 世界には因果の網の目が張り巡らされていて、一つの行為をすればそこから因果的に様々な出来事が生じてくる。そのさまざまな出来事のうち、あるものはある人の利益であるかもしれないし、あるものは別の人の不利益かもしれない。行為から因果的に生じてくる利益や不利益な出来事をピックアップして論ずるのが刑法の着眼点だ。

 例えば、殺人行為を考える。まず、殺人者の行為により被害者の生理的機能が害され、被害者が傷害を受けるという不利益が発生する。さらに、その傷害という不利益は死を導くほどのものなのだから、そこから今度は生命の侵害という不利益が因果的に生じる。被害者が死ぬと、親密な者たちは悲しむ。被害者の死から、因果的に被害者と親密な者の感情的利益の侵害が生じる。一方、被害者が死ぬと、被害者の敵たちは喜ぶかもしれないし、被害者の疎遠な親類は思わぬ遺産を手にするかもしれない。被害者の死によって、因果的に彼らの利益が生じるのである。また、殺人行為によって社会全体に不安感が生じ、また犯行をまねようとする者も出てくるかもしれない。殺人行為はそういった不利益も因果的に引き起こす。

 さて、殺人行為はこれらの利益・不利益を因果的に導くのだが、まず、(1)これらの利益は違法性を阻却するか、次に、(2)これら不利益のうちいったいどれを「保護法益」として観念するべきか。

 たとえば、警察官による逮捕は逮捕罪の構成要件に該当するが、正当行為として違法性が阻却される。これは、逮捕行為によって引き起こされる被疑者の不利益よりも、同じく因果的に引き起こされる公共の秩序維持の利益のほうを優先しているからである。殺人行為の場合、被害者の敵や疎遠な親類の利益は、社会通念上あるいは法的に保護されるものではないから、殺人行為の違法性を阻却しない。

 保護法益としてピックアップすべきなのは、当該行為によって類型的に侵害される蓋然性の高い利益、あるいは、当該行為によって引き起こされるもっとも法的に保護されるべき利益である。殺人行為によっては、文字通り当然に生命の侵害が発生する。被害者には親密な者がいないかもしれないので、親密な者の感情的利益は類型的に侵害される蓋然性がそれほど高くない。そして、生命というものは社会通念上最も重要な価値だとされているので、もっとも法的に保護すべきである。また、社会の平穏という利益は、だいたいどの犯罪でも問題となるので、殺人罪においてのみ考慮するのは不適切である。ゆえに、殺人罪の保護法益は生命なのである。