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保護法益の侵害

 犯罪は基本的に物理的世界で行われる。故意等の主観的要素は物理的ではなく観念的かもしれないが、何らかの外形的・物理的な事実のないところでは、基本的に犯罪は成立しない。不作為犯は確かに外形的な「行為」を必要としないが、作為義務者が不作為であることにより、何らかの外形的な出来事が容易に進行することで成立する。

 ところが、保護法益となると、単純に物理的なものとしてとらえるのは難しい。例えば、偽造罪における保護法益である「公共の信用」とは物理的なものだろうか。文書等について一般人が何となくその真正性を信頼しているという、観念的なものなのではないだろうか。確かに、殺人罪における保護法益である「生命」のようなものは、物理的に人間が生命活動を維持している状態を指すので、物理的なものと言えるかもしれない。だが、窃盗罪における「占有」は、占有の意思と占有の事実から構成されているから、窃盗罪の保護法益は観念的なものと物理的なものの両方を含んでいる。

 犯罪行為は、ほとんどが物理的世界に対応物を持つ。犯罪行為は何らかの意味で物理的である。だが、保護法益は、観念的なものとしてしか説明できないものもある。とすると、法益侵害の仕方にも、物理的な法益侵害と、観念的な法益侵害があるのではないだろうか。つまり、物理的な法益侵害は、生命などの物理的状態を物理的に侵害することで成立するが、観念的な法益侵害は、たとえば偽造行為などの物理的な行為によって、因果的に、文書に対する信頼等の、人間の観念の正常で保護すべき状態を侵害するのである。

 物理的行為によって物理的状態を侵害するのが殺人罪などの物理的な法益侵害であり、物理的行為によって因果的に人間の保護すべき観念の在り方を侵害するのが偽造罪などの観念的な法益侵害である。行為のレベルではいずれも物理的だが、それによって引き起こされる侵害の領域が、物理的か観念的かで異なるのである。