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選挙の公正

 「不平等は悪だ」と言われるが、世の中には許される不平等がある。たとえば、頭脳明晰な人間が大学教授になるのは、頭の良さによって人間を差別しているのだから不平等である。だが、その不平等が許されるのは、「適材適所」が社会全体の効用を増すという信念を人々が共有しているからだ。歯車が必要なところにねじを組み込んでも時計は動かない。同じように、頭脳明晰でない人間が大学教授になっても、研究や教育という機能を果たせない。適材適所の価値が不平等の不正に優越するというのが許される不平等の原則だ。

 さて、「選挙の公正」と一言にいわれる。基本書では、事前運動・戸別訪問の禁止や文書図画規制、報道・評論の規制が、「選挙の公正」を保つためにあると無批判に書かれている。だが、経済力にものを言わして当選することはなぜ悪いのか。それは、議員に求められているのが経済力ではなく、国政を正しく導く能力であるからだ。つまり、国政を正しく導く能力がある人間が議員になれば適材適所の価値を充足し、不平等が許されるが、経済力があるだけで国政を正しく導く能力がない人間が議員になってしまうと、適材適所の価値が充足されず、そこには経済力による地位の獲得という不平等だけが残り、その悪は阻却されない。

 「選挙の公正」とは、適材適所の価値が不平等の悪を阻却し、許された不平等の状態が実現されていることだ、とも言えるかもしれない。