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内山節『「里」という思想』(新潮選書)

 

「里」という思想 (新潮選書)

「里」という思想 (新潮選書)

 

  近代的世界は、ローカルであることを解体し、歴史を否定した。つまり、空間的普遍性を追い求め、時間的普遍性を否定した。それは科学的真理を唯一の真理とみなすイデオロギーであり、自然や歴史や関係性を破壊し戦争を生み出す。

 思想はそれを抱く人間が存在する時空を離れてはありえない。つまり思想というものはそもそもローカルなものなのだ。思想は文字で書かれるというよりも、むしろ日々の暮らしの振る舞いの中に歴史的な堆積と共にあるのである。そして、日本の主体というものは、他者が出発点であり、他者のまなざしを自分のものとするところに成立する。欧米的な自我主体の思想ではないのである。

 歴史は過去の営みが繰り返されることで再生され保存される。過去との連続性の中に歴史があるのであって、進歩や発展だけが歴史なのではない。画一的な外部の歴史よりも、一人一人を支えている個別的な歴史に照準を合わせることが大事である。そして、歴史は様々な時間が多層的に流れることにより成立するのであって、例えば自然の歴史と人間の歴史は異なるものである。

 大きな世界と関わろうとすればするほど、人間は浅く一面的に関わらざるを得なくなる。深く関わり深く考えるためには、人間はローカルな場所に腰を据えなければならない。世界の画一化には限界があり、多元的なローカルネスを素直に認めるべきである。そして、小さな世界が守られればこそ、大きな世界も維持できるのである。さらに、世界は多元的なだけでなく多層的で、例えば国法と地域の慣習は多層的に人間を規律する。

 近代の労働は、人生を労働時間の通過に貶めた。時間もコミュニケーションも、蓄積されるのではなく通過され、通貨を遮るものたちを敵視する雰囲気が生まれた。進歩という幻想が人間の労働を突き動かしたが、進歩が疑わしくなるにつれ労働の空疎さが見えてくるようになった。労働が経済の犠牲になることなく、継承性と永遠性を取戻すことが求められる。

 私たちの精神風土では、自分の側に主体があるのではなく、支えてくれる自然や人々こそが創造者であり、それに応えるときが主体的なのである。自然と人間との共同作業によって歴史は作られてきた。そして日本の精神は、個人主義と共同体主義が精神の異なる層にあり互いに矛盾しないところに特徴がある。日本の精神は多層的であり、だから互いに矛盾する多様な宗教を同時に取り入れることができる。今、その多層性が失われつつある。

 本書は、グローバリズムに対して反旗を翻す思想を提示している。それは単なる感情論では終わらず、断片的ながらも様々な角度から、世界の在り方、日本の在り方を問い直し、グローバリズムの悪弊を取り除く思想を模索している。物事はたいていローカルなところに本質があるし、多元的だし多層的だ。それを画一化し単純化するからよくないのだ、大体そんな感じでまとめることができると思うが、今一つ思索の深みが足りないように思う。もっと徹底的に掘り下げられ体系化された議論でこのテーマを論じてくれる人の登場を願っているが、とりあえずこの問題を考えるきっかけになる良い本である。